国民国家としての独立から帝国の創設へ
アダムズが述べているように、大西洋両岸のイギリス人たちの争点が、コモン・ローの字義通り、イギリス人共通の規範によらない異なる統治原理の対立に収斂する以上、北アメリカ植民地側は、異なる原理を用いて、宗主国に対して自己を正当化しなければならない。それが「独立宣言」に示される自然権理論である。すなわち、「すべての人間は、神によって平等に作られている」と述べた上で、「生命、自由、幸福の追求」という一定の譲り渡すことのできない権利を与えられていると論じ、しかるに、現在のイギリス本国政府がそれを保全しない以上、自分たちとしては、熟慮の末、「権利ばかりではなく義務」という観点からも、イギリスに留まることはできないと主張するのである。
イギリス国王の大権を自分たちの権利の拠り所としていた人々が、にわかに環大西洋世界の知識人たちの共通言語であった自然権という啓蒙主義の言葉を用い始めたことは当然注目に値するが、本稿の目的においてより重要なのは、この「独立宣言」と呼ばれる文書の正式名称が、「1776年7月4日、大陸会議における13のアメリカ連合諸邦の全会一致の宣言」であるところにある。既に述べたように、北アメリカ植民地は、一つではなく、13の共和国のイギリス本国からの独立を宣言している。
彼らが組織した大陸会議という合議体は、一つの国家的政府ではなく、イギリスという強大な力を有する国家と戦うための連合体に過ぎないものであった。主権の担い手はあくまで各植民地なのであり、それらが主権国家となるために手を結んだのである。この宣言からアメリカ独立戦争が始まるのだが、足掛け8年にわたる長い戦いの最中に生じた二つの注目すべき事柄を指摘する必要がある。第一は、アメリカ連合諸邦の体制にまつわる問題であり、第二は、この戦争に関わる国際法の変化である。
第一に、大陸会議がにわかに創設した正規軍である大陸軍は、植民地各邦の寄せ集めに過ぎないものであったので、戦争運営にあたって大変な困難に常に直面していた。そこでより強固な同盟を構成するため、1777年に連合規約を締結し、その際にこの連合の名称をThe United States of Americaとすることを定めている。今日のアメリカ合衆国の英語名称が登場するので、日本の教育現場では、この連合規約締結前のアメリカを「アメリカ連合諸邦」、締結後のアメリカを「アメリカ合衆国」と便宜的に呼んでいる。
しかし、この英語表記を改めて文言通り直訳していただきたい。するとそれが「アメリカ連合諸邦」で構わないということがわかるのではないだろうか。事実、連合規約締結以降は、日本の教科書では「大陸会議」から「連合会議」と訳し分けているが、当事者たちはどちらもCongressと呼んでいた。つまり、戦争遂行の必要性からより強固な連合は求められたが、その内実は、1783年のパリ条約において独立を承認されるまで変わっていなかった。
第二に、国際法の変化についても指摘する必要がある。現在の諸研究では、様々な見解が提起されているが、1648年に締結されたウェストファリア条約以降は、概ね主権国家体制の形成が進み、主権国家どうしの戦争についての国際法の枠組みが形成されていったとされる。戦争とはいわば主権国家の権利であり、それゆえ戦争と講和に関するルールも必要とされたのである。一方、内戦は、法学的な意味でも主権者と反乱者の対抗関係で論じられるようになった。いうまでもなく反乱は最大の重罪の一つである。事実、13植民地とイギリスとの戦争を、その開戦当初ヨーロッパ諸国は、イギリスにおける内戦と理解した。
しかし、この啓蒙主義思想の時代には新たな国際法理解の潮流が存在した。特にアメリカ合衆国の建国者たちに影響を与えた人物として、エメール・ド・ヴァッテルと、彼の著した『諸国民の権利』を挙げるのが無難であろう。ヴァッテルによれば、一つの国家内に二つの国民(nation)が明示的に成立した(双方が統治機構と規律のとれた軍事組織を有する)場合、それを主権者と反乱者の論理で整理するのは適切ではなく、諸外国は、その主権の名においてどちらとも正式な同盟関係を持つことが正当化されるという。「独立宣言」は、こうした国際法の学説を下敷きとして起草された文書でもあった。そして事実、1778年にはフランスが「アメリカ合衆国」と同盟関係を結ぶのである。
こうした国際法理解の同時代における新潮流が決してマイナーなものではなかった傍証がある。フランス革命の勃発に際してエドマンド・バークが、フランスに王党派と革命派の二つの国民が既に成立しているという認識のもとに、イギリスは王党派国民の同盟者として介入すべきだと主張していたのである。
そしてこれら一連の出来事は、ハーヴァード大学の歴史学・政治思想史研究者デイヴィッド・アーミテイジの指摘によれば、コスモポリタニズムの表れであり、同様の論理はグローバル化の進展に伴い地球大に拡張していくのである。世界は啓蒙主義の時代の思想家たちが構想したように一つの共同体になる。しかし、それは必ずしも平和な世界の構築を意味するのではなく、戦争に代わって内戦がこれからの戦争の形態となる。その嚆矢がアメリカ革命であった。そして注目すべきは、こうした「グローバルな内戦」をはらむコスモポリタニズムの世界にあっては、国民国家の城塞は融解し、帝国が姿を現す時代が到来するのである。
1971年北海道生まれ。北海道大学大学院法学研究科博士課程単位取得退学。博士(法学)。専門はアメリカ革命史。単著に『アメリカ連邦政府の思想的基礎――ジョン・アダムズの中央政府論』、共著に『啓蒙・改革・革命(岩波講座 政治哲学2)』『教養としての世界史の学び方』など。