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【追悼 伊藤 隆】伊藤史学が残したもの――遺産の彼方に

有馬 学(九州大学名誉教授)
伊藤 隆氏
(『中央公論』2024年11月号より抜粋)

セルフ・アーカイヴィング

 伊藤隆先生は私の師匠である。不肖の弟子ではあるが、伊藤隆の仕事を記憶し、伝え続けたいと強く思っている。ある時期まで私の頭の中には、仲間と語らって「伊藤隆の仕事」という本を作りたいという野望があった。主要な論文や著書を、単なる研究史ではなく、歴史的に位置づけること、先生が発掘・整理・公開に関わった膨大な史料群について、その来歴と概要を付した一覧を作ることがその内容である。もののわかった人なら、出来るわけがないと考えるだろう(だから野望と書いた)。

 しかし困ったことに、伊藤先生はそれをほとんど自身でやってしまわれた。「伊藤隆の仕事」の核心は、『歴史と私──史料と歩んだ歴史家の回想』(中公新書、2015年)でほぼ語り尽くされている。のみならず、この本は戦後を生きた日本近代史研究者の、通常の自分語りとは質の異なる「自己を語る」になっている。今さら何を付け加える必要があるのか、とも思う。

 それだけでは口惜しいので負け惜しみを付け加えると、同書にも書かれているように、これはもともと私が武田知己(たけだともき)氏と語らってはじめた伊藤先生へのインタビューがもとになっている。インタビューは、私としては「伊藤隆の仕事」の手始めのつもりもあった(出来るか出来ないかは別ですよ)。送りバントくらいには認めてもらえるかもしれないが、少々情けない気もする。

 膨大な業績のかなりの部分、とりわけ史料に関わるものの多くが共同作業の成果であることは、関わった人間のすべてが知るところである。しかし、いつ終わるともしれない史料の発掘整理とその資源化という事業は、人の一生に合わせてはくれない。そのことについて伊藤先生は、セルフ・アーカイヴィングというかたちで、自己一身の責任において始末を付けようとした。

 後世に引き継ぐにあたり可能な限り来歴、プロセスがたどれるように記録し、公刊し、公刊できないものは落ち着き先をみつけるという作業は、かなり計画的に準備されていた。たとえば単行本などに未収録の文章を集めた『落ち穂拾い』(私家版)は、分厚い軽装本で12冊が刊行されたが、その最初は2012年に80歳を迎えてまとめられたものである。内容のかなりの部分が、史料収集のプロセスに関わるデータでもある。誰かに頼んだわけではなく、先生ご自身の作業だ。時間と労力をかけた周到な「終活」(甚だ失礼な言い方であるが、伊藤先生の場合ふさわしい表現とも思える)だが、それでも最後になにがしか手許に残ってしまうものがある。その取り扱いについて季武嘉也(すえたけよしや)氏が後事を託されたのは、今年の1月だったという。

 不肖の弟子としては、お見事と申し上げるほかはない。


(中央公論11月号では、この後も伊藤氏の人柄や歴史教科書との関わりなどについて詳しく論じている。)

中央公論 2024年11月号
電子版
オンライン書店
有馬 学(九州大学名誉教授)
◆有馬 学〔ありままなぶ〕
1945年北京生まれ。鹿児島県出身。東京大学卒業、同大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得満期退学。九州大学大学院教授、福岡市博物館総館長などを歴任。著書に『「国際化」の中の帝国日本 〈日本の近代〉4』『帝国の昭和 〈日本の歴史〉23』『「戦後」を読み直す──同時代史の試み』など。

◆伊藤 隆〔いとうたかし〕
歴史学者。1932年東京生まれ。東京大学文学部国史科卒業、同大学大学院人文科学研究科国史専攻修士課程修了。東京大学名誉教授・政策研究大学院大学名誉教授。著書に『昭和初期政治史研究』『近衛新体制』など。また、『牧野伸顕日記』『佐藤榮作日記』『鳩山一郎・薫日記』『岸信介の回想』『情と理──後藤田正晴回顧録』『近現代日本人物史料情報辞典』1~4など多数の近代史史料やオーラル・ヒストリーの編纂・刊行に携わる。2024年8月19日逝去。享年91。
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