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成功していれば原爆投下もソ連参戦もなかった?――知られざるバチカンの終戦工作

松本佐保(日本大学教授)×河西秀哉(名古屋大学准教授)
河西秀哉氏(左)、松本佐保氏(右)
 戦争末期、戦況が悪化する一方だった日本は、ソ連はじめ中立国に働きかけて和平工作を行っていた。だが、バチカンを通じた終戦工作についてはこれまであまり知られていない。バチカンの未公開史料を読み解いた松本佐保氏と、「象徴天皇」誕生の経緯を研究する河西秀哉氏が対談した。
(『中央公論』2025年9月号より抜粋)

なぜバチカンが日米の終戦工作を

――バチカンは終戦工作を具体的にどのように行ったのでしょうか。


松本 アメリカには当時、OSS(戦略情報局)という後のCIAの母体になったインテリジェンス機関があり、その工作員マーティン・キグリーがキーマンの一人となります。キグリーはアイルランド系のカトリックで、バチカンで要職にあったバニョティ神父に接触します。神父はワシントン駐在のバチカン使節だったときにルーズベルト大統領とも接する機会があり、キグリーとは旧知の関係でした。そして神父を介して、ローマに滞在していた日本公使館嘱託の富沢孝彦神父へ、さらに原田健公使へのルートが開かれます。原田は、アメリカ側から終戦に向けての動きがあることを外務省に伝えます。


河西 外務省には原田から届いた外報が残っています。


松本 イギリスのインテリジェンス機関が、原田が1945年6月に外務省に送った電報を傍受しているのです。日本に送られた文章の英訳は、イギリスの公文書館に保存されていて、私もコピーを持っています。イギリスはその情報をアメリカ側にも伝えています。


河西 すでに敗色が濃厚だった日本に対し、なぜバチカンはアメリカとの和平のために動いたのでしょう?


松本 やはり反共の意識が大きいのです。日本が負け、天皇制が廃止された結果、共産主義化することを恐れる意識がバチカンには強くありました。


河西 当時のバチカンで日本公使館の参事官を務めた金山政英の回想録によると、天皇制の護持が和平の条件として認められています。領土に関しては、日本のいわゆる本土は認められるものの、朝鮮半島はじめ千島列島や樺太、台湾、満洲などの海外領土は放棄せよ、といった内容でした。つまり近代以前の日本に戻れということです。しかし45年6月時点では、日本は領土を失うことをまだ受け入れられませんでした。


松本 原田からの連絡は外務省が受け取ります。東郷茂徳(しげのり)外相は当時、ソ連を介して終戦交渉することにほぼ決めていました。バチカンの和平案は、領土放棄の条件とあいまって、ソ連との交渉へと動く東郷と外務省から黙殺され、実現しませんでした。


河西 当時の日本の一部は、ソ連に終戦の仲介を依頼するに際し、そこまで厳しい条件は出されないであろうという感覚を持っていました。それは日本側の甘い認識で、見誤っていたと思います。


松本 その認識が私には謎です。日本側はなぜソ連が日本によくしてくれると考えたのでしょう?


河西 日本にとって、ソ連は昔からの仮想敵国でした。そのソ連が第2次世界大戦下、東側にある日本とは41年に日ソ中立条約を締結し、西側のヨーロッパでの戦線に注力している。この状況であれば、戦局が悪化している日本でも、どこかでアメリカに強力な一撃を与えて、できる限り有利な終戦条件を引き出す「一撃和平」が可能なのではないか。そうした考えに固執するのです。

 昭和天皇も軍部も外務省も、基本的にアメリカに勝てるなどとは考えていなくて、和平を結ぶ際に、それぞれがバチカンをはじめとする中立国、あるいはソ連に仲介してもらおうとした、ということです。そこで外務省はソ連を選んだ。それは、アメリカとの力関係からではないでしょうか。


松本 ソ連がアメリカにとってライバル国であるということですか。


河西 そうです。だからアメリカと戦っている我々=日本に、ソ連は最後は味方してくれるのではないか、という見通しだったと思います。


松本 ソ連は最終的には日本の敵国になりましたが、この時点では対日では中立国で、イギリス首相チャーチルも、ルーズベルト大統領が死去する前に、ソ連は第2次世界大戦が終わるまでは同盟国ではあるが、その先は一緒にはできないといったニュアンスの発言をしていましたが。


河西 よく考えれば、ソ連を仲介役とする選択肢が悪手であることは理解できるでしょうし、それ以外の交渉先を切ってしまうのも、それを外務省レベルで決断してしまっているのも問題です。昭和天皇の周辺にまでバチカンからの報告が上がれば、話は違っていたでしょう。昭和天皇ならば、この条件を呑んだ可能性もゼロではないと思います。


松本 当時の外務省内では英米と早く和平を実現したいという英米派は少数派で、日本と同盟国のドイツを倒した後も、ソ連は日本に対しては中立を維持しつづけると信じていたのですね。


構成:小山晃 撮影:米田育広


(『中央公論』9月号では、皇太子時代の昭和天皇が欧州を訪問しローマ教皇と面会したこと、戦時中に日本とバチカンの国交が成立したこと、皇室とキリスト教の知られざる関係などについて論じている。)

松本佐保(日本大学教授)×河西秀哉(名古屋大学准教授)
◆松本佐保〔まつもとさほ〕
1965年神戸市生まれ。聖心女子大学卒業。慶應義塾大学大学院修士課程修了。英国ウォーリック大学大学院博士課程修了(Ph.D.)。専門はキリスト教と国際政治。名古屋市立大学教授などを経て現職。著書に『バチカン近現代史』『熱狂する「神の国」アメリカ』『バチカンと国際政治』『アメリカを動かす宗教ナショナリズム』などがある。

◆河西秀哉〔かわにしひでや〕
1977年名古屋市生まれ。名古屋大学大学院博士後期課程修了。博士(歴史学)。専門は日本近現代史。京都大学大学文書館助教、神戸女学院大学准教授などを経て現職。著書に『皇居の近現代史』『天皇制と民主主義の昭和史』『近代天皇制から象徴天皇制へ』『平成の天皇と戦後日本』、共編に『昭和天皇拝謁記』(毎日出版文化賞)などがある。
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