日ソ戦争の「現在」
――ロシアでは日ソ戦争はどのように位置づけられているのでしょうか。
山添 モスクワやサンクトペテルブルクでは独ソ戦の記憶が強く、日ソ戦争のことはほとんど忘れられているのではないでしょうか。これは旧ソ連のカザフスタンやキルギスでもそうで、博物館や記念館に行くと独ソ戦については必ず強調されていますが、日ソ戦争にまつわる展示は記憶に残りにくい程度です。
麻田 地域差がありますね。極東では祖国の誇るべき歴史として現在も利用されていますが、モスクワなどではドイツ軍の奇襲に始まり、苦難を乗り越えてベルリンを陥落させて終わる歴史が語られがちです。
山添 たとえば南樺太の豊原(とよはら)(ロシア名ユジノサハリンスク)の住人は、日ソ戦争の結果として占領した場所に暮らしているわけですから、戦争に勝ったことを肯定的にとらえる立場でしょう。ただ、満洲は攻め込んだものの中国に明け渡しましたし、新疆からも手を引いてしまって、現在のロシアと連続しないので、広く共有された記憶ではないですね。
麻田 米英中の首脳が集い、日本が無条件降伏を受諾した後の戦後処理を取り決めたカイロ宣言(1943年12月)によって、満洲や台湾の返還や朝鮮半島の独立はすでに既定路線となっていましたから、ソ連が参戦しようがしまいが帰属が変わるものではありません。それでもソ連軍が侵攻してしまったことで、満洲や朝鮮の日本人居留民は帰国が困難になり、南樺太や千島列島では今も続く帰属問題が生じました。だからこの地域にとっては非常に重大な戦争ですが、モスクワや東欧からすると遠い戦争であり、語り継がれるのは独ソ戦ということになります。
山添 プーチンが支配したこの25年で、独ソ戦のストーリー再生産がより激しくなっていますね。近代以降のロシアは戦争を繰り返してきましたが、国民が日常的に想起する戦争はやはり独ソ戦で、日本にとってのアジア・太平洋戦争のようにシンプルなストーリーとして語り継がれる傾向があります。
語り継がれにくい日ソ戦争については、まだまだストーリーからこぼれ落ちている要素がたくさんあります。麻田さんの『日ソ戦争』はそこにもしっかりとフォーカスしていて、南樺太の占領をソ連に要請したのがアメリカであったことや、ソ連は朝鮮半島への侵攻についてはあまり乗り気ではなかったことなども指摘しています。ソ連がどこでも一貫して武力侵攻に積極的であったわけでもないことがよくわかりますね。
麻田 スターリンが開戦前に朝鮮北部すべての占領を命じた史料は見つかっておらず、偶発的な条件が重なり、アメリカが恣意的に引いた38度線まであわてて占領したという見方が妥当だと思います。偶然や運命のいたずらが、現在の東アジア情勢を決定づけてしまっています。
山添 北海道についても、ソ連が占領に加わる余地はあり、もしトルーマンがその道を選んでいたら、占領終了後も分断が残る可能性があったでしょう。
麻田 日ソ戦争には「大日本帝国の遺産争い」という側面があり、遺産の周縁部に位置する地域が激戦地となりました。それらの一つが北方領土であるわけで、多くの日本人が認識しているよりも、現在への影響ははるかに大きい戦争だといえます。
構成:柳瀬徹
(『中央公論』9月号では、この後もスターリンが武力侵攻を急いだ理由や、占守島の戦いをめぐる「神話」、現代のウクライナ侵攻でも続く、極度の人命軽視や占領地での激しい略奪などを特徴とするロシアの「戦争の文化」などについて詳しく論じている。)
1980年東京都生まれ。北海道大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。博士(学術)。専門は近現代日中露関係史。著書に『中東鉄道経営史』(樫山純三賞)など。『日ソ戦争』で司馬遼太郎賞、猪木正道賞正賞、読売・吉野作造賞。
◆山添博史〔やまぞえひろし〕
1975年大阪府生まれ。ロンドン、モスクワ留学を経て京都大学博士課程修了。専門は国際政治学、ロシア安全保障。業績は「ロシアの核兵器をめぐる不安定」「ロシアの海洋への道と榎本武揚」「ロシアと清朝の境界と条約をめぐる概念の相違」など。