政治・経済
国際
社会
科学
歴史
文化
ライフ
連載
中公新書
新書ラクレ
新書大賞

私だけが「北の後継者」を見誤らなかった理由

「金正日の料理人」に聞く
藤本健二(元寿司職人)

持ち出せた記録はほんの一部

─藤本さんの著作は今回の『北の後継者 キム・ジョンウン』が四作目。北朝鮮での出来事はずっと記録していたのですか。

藤本 一九八二年に北朝鮮に行ったときからずっと記録はつけていたのですが、途中で二度没収されました。
 一度目は一九九〇年。実はボウリング場でバレたのです。あるとき、招待所でボウリングをして遊んでいたのですが、北朝鮮のボウリング場にはスコアカードがない。そこで自分の日記帳を出して、一番後ろのページに線を引き、スコアカードの代わりにして、点数をつけていました。

 そこに通訳がやって来て、「おい、藤本、何サボってるんだ。将軍が探しているぞ」という。これはまずいと、慌てて出て行ったので、日記帳を置き忘れてしまったのです。気付いたのは夜で、ボウリング場には鍵がかかっていて入れない。まあ、明日取りにいけばいいかと、その日は諦めました。

 翌日、秘書室長の李明済に呼ばれ、「これはお前のものか」と日記帳を見せられました。「はい、そうです」と正直にいうと、「いつから書いているのか」と聞く。「八二年から書いています」と答えると、「平壌へ戻ったら通訳の金ヨンミョンにすべて渡せ、そうしなかったら将軍に報告する」というのです。将軍に知れたら、大変なことになりますから、「すべて渡します。将軍に知らせるのだけは勘弁してください」と必死に懇願しました。自然に涙が出ましたよ。

 今考えたら、日記とはいえ、「こんな社会主義はもうイヤだ」とか書き殴っていたんですからね。北朝鮮でも年配の人なら日本語が読めるので、さぞ驚いたことでしょう。日記は、私の「堪忍袋」だったんです。嫌なことがあっても書いてしまうと胸のつかえがとれたので、毎日つけていました。
 結局日記を渡すときに、明日から絶対に書きませんと誓約書を書かされたのですが、翌日からまた書いていました。(笑)

─よくバレませんでしたね。

藤本 九四年にもう一度没収されましたが、私の場合は、料理の献立を書き込むこともあったので、大目に見てもらえたのでしょう。さすがに軍需工場の視察に行ったときに駅名を書こうとしたら、金正日将軍本人に、「コラ藤本、何してる!」と怒鳴られましたが。

 今手元にあるのは、一九九五年から、出国する二〇〇一年までの記録です。さすがに記憶に頼るだけでは、本は書けません。北朝鮮から何とか持ち出した日記に助けられました。

1  2  3