現在の日米同盟が、有事の際に本当に機能するのか、実は問題も多い。例えば、日米が別々の指揮権を持って対応することになっているが、即時に有効な作戦を展開しようとしたら、それは大きな障害にもなりかねない。
そもそも、日米安保条約自体にも「限界」がある。クリントン国務長官の「尖閣諸島は安保条約適用の範囲内」という発言に安堵した人は多かったようだが、あれは米議会に対し「米軍を出しますか」というお伺いを立てる対象だと言っただけ。だいたい離島防衛はわが国自身で対処すべきものだし、条約でカバーされるのは、わが国施政権の及ぶ範囲内に限定されているのである。わが国の領土外で航空機が攻撃されたような場合には、対象外となる。
そうした点も含め、条約、法律、運用、装備まで含め、洗いざらい総点検して見直すことが急務である。邦人の救出や領海保全くらいは「自前」でやれるように、自衛隊法の改正も議論すべきだ。当然、防衛大綱も一から作り直す。重要なのは、そうした見直しを日本の側から提案し、米国と協力して磐石な体制を築くことである。
自民党の責任で国をたて直す
十一月末、鳩山前総理が東大で講演し、「鳩山の時代に日米関係をむちゃくちゃにしたと書かれたが、そんなことはない。新しい関係を開いたのだ」という趣旨の発言をしたそうだ。抑止力を知らないまま普天間問題を混迷に迷い込ませた人物の、この発言に唖然としたのは、私だけではあるまい。やはり民主党の辞書には、「責任」「反省」「改善」といった言葉はないのだ。
とはいえ、こんな政権を誕生させてしまった最も大きな責任は自民党にある。自民党が国民から総スカンを食ったがために、民主党に風が吹いた。「民主がいい」からではなくて、「自民がいや」だから起きた政権交代だったのだ。
そうである以上、この政権が国益を損ねることがないよう、フォローするのも大事な仕事だと思い、菅政権になってからもあれこれと「助け舟」を出したつもりでいる。尖閣の映像は一日でも早く出した方がいいと、論理を尽くして説得した。そのことで責めたてたりはしないから、船長釈放の経緯を正直に国民の前に明らかにすべきだと、アドバイスもした。普天間問題に関しては、とにかく踏まれても蹴られても、知事選の前に沖縄に行くべきだと、進言も重ねた。しかし、彼らはことごとく、それをはねつけた。正直、愛想が尽きた。
国民の間にも急速にそうした空気が広がっている。政権交代、政界再編は意外なほど早く現実味を帯びてきた。総選挙がいつ行われ、結果がどうなるかは不明だが、今の民主党は組める相手ではない。再編は自民党主導でなければならないし、そうできるように、今のうちに力を蓄え、何よりも生まれ変わらなければいけない。
かつて、自民党は「仲介業」だった。地方や民間から持ち込まれる要望を聞き、それを霞が関に投げる。官僚も面従腹背ながら、強固な基盤に支えられた政権党の言うことを一応は聞いた。ところが、野党になってみると、いっこうに「お客さん」はやってこないし、役所も冷淡になった。そうなって初めて、政権というものは国民からお預かりするものなのだということが実感できた。これを糧にすべきだ。参議院選挙に「負けなかった」ことを勘違いし、またぞろ派閥持ち回り的な古い発想を持ち出すなど論外。そういう遺伝子は、自民党から徹底的に淘汰しなければならない。
今回の下野は、自民党に反省の期間を与えるための、天与の機会だったのだと私は思っている。野党にあるうちにしっかり反省し、政策を磨けという神の配剤だ。あと二年ぐらいは野党として腰を落ち着けて考えてみたいと思っていたのだが、今の政治が続いたら、国が倒れてしまう。時間はない。
次期総選挙では、「民主がダメだから、仕方なく自民」という?ダメ比べ?から脱却したい。さきほど述べた日米同盟の再構築などに関しても、必ず選挙前にきちんとした政策にまとめ、信を問いたいと考えている。
(了)
〔『中央公論』2011年1月号より〕