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「監獄」化したガザ、エルサレムの苦悩 解説・鈴木啓之

鈴木啓之
イスラエルとエルサレム旧市街
 パレスチナ国際問題学術協会のマフディ―博士のインタビューについて、鈴木啓之・東京大学特任准教授がパレスチナの歴史、地理環境から解説する。
(『中央公論』2021年8月号より抜粋)

 マフディー博士が理事長を務めるPASSIAのオフィスを、以前に訪ねたことがある。エルサレム旧市街のダマスカス門から北に歩くこと八〇〇メートルほど、老舗ホテル「アメリカン・コロニー」の手前で右に曲がれば、右側に大きな邸宅を眺める通りに出る。そこからオフィスまでは、二〇〇メートルほどだ。もし、ホテルの手前で曲がらずにまっすぐ進めば、少し開けた盆地に出る。そこが、シャイフ・ジャッラーフ地区─、すなわち今回の衝突の出発点となった場所である。

 シャイフ・ジャッラーフでは、イスラエル人入植者団体から立ち退きを迫られたパレスチナ人家族が、抗議の声をあげていた。その緊張に重なる形で始まったのが、断食月(ラマダーン)だった。新型コロナウイルス対策を理由として、イスラエル当局が旧市街の聖域などで集会への規制を強化した結果、パレスチナ人らによる抗議活動と、それに呼応するようにイスラエルの愛国主義者団体による示威行動が続いた。ラマダーンがまもなく終わろうとしていた五月十日には、聖域内でイスラエル治安当局とパレスチナ人が衝突し、後者に三〇〇人ほどの負傷者が出た。ガザ地区からパレスチナ人組織ハマースがロケット弾を発射し始めるのは、この日の夜のことである。五月二十一日に停戦が実現されるまで、イスラエル側では外国人労働者を含めて一二名、パレスチナ側ではおよそ二五〇名の犠牲者が出た。マフディー博士は、この事態を日常のなかで目撃していたはずだ。

 今回の出来事に限らず、マフディー博士は、その人生を通してパレスチナ問題を目撃してきた。内陸の都市ナーブルスに一九四四年に生まれた彼は、幼少期を港町ヤーファーで過ごしている。しかし、一九四八年のイスラエル建国によって、レバノンに難民として逃れた。ヨルダン統治時代のヨルダン川西岸地区ナーブルスに帰還を果たすのは、一九五〇年のことである。一九六七年の第三次中東戦争によるイスラエルの西岸地区占領に直面した時には、占領地で暮らし続けることを選んだ。その彼が、「若者たち」に強く期待を寄せる様子に、私はパレスチナ問題の現状が反映されていると感じた。

 一九九三年のオスロ合意によって、イスラエル政府とパレスチナ人─パレスチナ解放機構(PLO)が代表していた─は、お互いの存在を認め、和平交渉を始めた。交渉が続いているあいだ、暫定的にパレスチナ人には自治が認められ、西岸地区の一部とガザ地区を管轄するパレスチナ暫定自治政府(PA)が設立された。しかし、二〇〇〇年代に入ると和平交渉は停滞し、「暫定」であったはずのシステムが、そのまま続くことになった。その矛盾が覆いがたく表出している場所が、東エルサレムとガザ地区だ。

 マフディー博士が、エルサレムの状況を「監獄」と表現するのは、決して大袈裟な言葉ではない。パレスチナで「監獄」と言えば、まずガザ地区が思い浮かぶ。福岡市と同程度の面積に、二〇〇万人ほどのパレスチナ人が居住している。政治経済学者のサラ・ロイは、この地域を人工的に開発が阻害された場所だと指摘した。実際に、ガザ地区への人と物資の出入りは、イスラエルによって厳しく制限されている。ガザ地区は、この五月の空爆で甚大な被害を受けた。新型コロナウイルスへの対策も十分に進んでいないことから、今後の医療体制や社会福祉にも大きな不安を抱えている。しかし、パレスチナ社会全体を見渡したときに、同じように孤立のなかにある地域がいくつか存在する。マフディー博士が暮らすエルサレムも、その一つだ。

「東エルサレム」と呼ばれることが多い市域東部には、およそ三五万人のパレスチナ人が暮らしている。彼らを孤立させているのは、分離壁と国籍だ。二〇〇二年から建設されたイスラエルの分離壁によって、東エルサレムの大部分は西岸地区から切り離され、イスラエルの完全な管理下に入った。しかし、住民らはイスラエル国籍を持たないため、イスラエル社会での生活には制限が伴う。長年にわたってイスラエルへの「帰化」が同胞からタブー視されていたこと、さらに最近ではイスラエルの国籍審査が厳格化していることも要因だ。彼らは日常的にイスラエル社会と接しながら、その社会の「よそ者」であり続けている。

 PAやハマースは、この東エルサレム住民の権利保護を訴えてきた。しかし、イスラエルの管理下にある人びとに手を差し延べるのは容易ではない。そもそも、パレスチナに二つの政府が存在することが、東エルサレム住民への統一的なアプローチを妨げている。選挙で勝利したハマースに対して、「旧与党」の立場に追いやられたPLO最大党派のファタハが抗争を挑み、二〇〇七年六月にはガザ地区と西岸地区に二つの政府ができた。現在のPAは、ハマースを排除してファタハ主体で構成されている。では、東エルサレムの住民らが独自の運動を起こすことはないのか。ここには、指導者を失った社会の苦悩が横たわる。

 

(『中央公論』2021年8月号より抜粋)

中央公論 2021年8月号
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鈴木啓之
〔すずきひろゆき〕
一九八七年神奈川県生まれ。東京大学大学院博士課程単位取得退学。博士(学術)。日本学術振興会海外特別研究員などを経て現職。専門は中東近現代史。著書に『蜂起〈インティファーダ〉』(南原繁記念出版賞)がある。
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