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どうなる米中対立? 「関与」から「競争」へ アメリカの方針転換 佐橋亮

佐橋亮(東京大学東洋文化研究所准教授)

従来のアメリカの対中戦略とは

 1970年代、ニクソン大統領とキッシンジャー大統領補佐官から米中接近が始まった。それが、ソ連への牽制やベトナム戦争の早期終結といった大きな戦略的関心から生じたことはよく知られる。しかし、ここで強調したいのは、接近後も中国の近代化のためにアメリカが支援をし続けたことだ。それは中国人学生に対する留学機会の開放、実験施設や兵器の売却、投資など多岐にわたる。いわば中国を育てたのは、アメリカや日欧といった先進国なのである。

 そうしたアメリカの中国戦略を支えた考えは、中国は歩みが遅くとも市場化改革、政治改革、国際社会における役割拡大に前進していくという「三つの期待」だった。つまり、中国はアメリカといずれ価値を共有していく、という考えだ。根拠の薄い楽観にすぎないが、これらは政策の大目標となった。また中国は成長したとしてもアメリカには追いつかないという慢心も存在していた。

 これが、筆者がこの夏に上梓した『米中対立 アメリカの戦略転換と分断される世界』のポイントだ。

 今の知見で振り返れば、アメリカ側にそういった期待があったことを奇異に感じるかもしれない。しかしアメリカは、異なる政治体制を持つ中国との関係構築を1989年の天安門事件後も諦めず、90年代には関与政策を公式化する。中国の将来への期待は、中国ビジネスにのめり込むアメリカ産業界のみならず、ワシントンにまで広くあり、それは、当時の外向けの発言や、政府内文書や当事者の回顧などからも裏付けられる。当時の江沢民国家主席や朱鎔基国務院総理もそれに呼応するかのような改革のポーズを示していた。

 中国警戒論は当時から盛り上がりをみせていた。そこではアメリカからの技術流出や中国による中東への兵器輸出、中国における人権問題、なにより対中貿易赤字が焦点となった。しかし、警戒論は中国戦略の主流であった関与方針にまったく歯が立たず、条件をつけながら関与を続ける折衷的な対応が繰り返された。なお、ここでの党派性は強くない。中国の世界貿易機関(WTO)加盟に道を開いたのは民主党のクリントン政権だが、続く共和党のブッシュ(子)政権も出だしは中国に厳しい姿勢をみせるものの、2001年の同時多発テロ事件以降の対テロ戦争で中国との関係を重視し、むしろ現状を不安定にさせるとして、台湾の陳水扁政権に圧力を加え続けた。

 しかし、2013年の習近平政権の発足以来、中国政府が社会統制を強め、また対外的にも従来以上に強硬な姿勢を取り始めるなかで、アメリカ政府は長年にわたる米中の関係性の見直しを始める。それは前述の「三つの期待」の喪失による「対中不信」と、中国に「追いつかれる恐怖」がともに高まった結果なのである。実のところ、もう一方の中国政府の対米姿勢はそれほど変わっておらず、米中関係はまずアメリカによって変質したと言える。

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