「歴史の終わり」は来なかった
板橋 1989年にフランシス・フクヤマが論文「歴史の終わり?」を雑誌『ナショナル・インタレスト』に発表し、92年に著書『歴史の終わり』を刊行しました。当時かなり批判を浴び、私が学部生だった90年代後半になってもまだ叩かれていた記憶があります。しかし、今になって振り返ると、欧米人の多くはフクヤマと根本で思想を共有していたと感じます。つまり、人類にはもはやリベラル・デモクラシーに代わる選択肢はなくなったのだという考え方です。ドイツやアメリカはその典型で、少なくとも90年代までは、こちらが関与していけば、権威主義的な国家も変わっていくと素朴に信じていたように思います。
ことにドイツは、70年代の東方政策が成功体験となっていました。西ドイツのブラント政権が東側との政治的経済的な交流に乗り出したことが、NATOとワルシャワ条約機構諸国が参加した75年の「全欧安全保障協力会議(CSCE)」の実現につながり、ついには冷戦の終結をもたらした、というストーリーがあるわけですね。東方政策のおかげで我々は統一を達成し、冷戦に勝利した、あるいは東側諸国が平和裏に民主化していったという自負がドイツには強くあります。他方で彼らは、天安門事件のような出来事を忘れていきました。
細谷 フクヤマのような、リベラル・デモクラシーが歴史の終着点であるとする見方は、欧米ではかなり根強いものがありますね。
板橋 ただし、それがロシアや中国にどう映るかという視点が欠けていたように思います。東方政策の成功体験はそのまま中国にも適用され、ドイツは90年代に中国との経済交流を推進しましたし、アメリカのクリントン政権も関与を拡大していきました。しかし中国からすると、それにはかつて毛沢東が言った「和平演変」、平和的手段で社会主義の内部崩壊を狙う侵略行為と捉えられる側面が少なからずあるわけです。相容れない世界観の衝突は冷戦終結後も続き、細谷さんがおっしゃった2008年から14年の転換点に大きくクラッシュし、その最たるものがウクライナ危機だったのだと思います。
細谷 まったく同感です。フクヤマのような楽観論は、秩序よりも人道や人権といった普遍的正義の実現を優先すれば、国家間の連帯は可能であるとする「ソリダリズム(連帯主義)」なのだと思いますが、ソリダリズムが最高潮となったのは1999年のコソボ紛争です。西側諸国では、NATOによる介入は成功とされ、国際社会は関与と人道的介入(humanitarian intervention)で危機に対処すべきだとするカナダの政治学者マイケル・イグナティエフや、イギリスの歴史学者ティモシー・ガートン・アッシュ、オバマ政権で国連大使を務めたサマンサ・パワーなどが発言力を持っていました。しかし現実の国際社会は、彼らが考えていたシナリオ通りに進まなかったということですね。
(続きは『中央公論』2023年9月号で)
構成:柳瀬 徹 撮影:米田育広
1971年千葉県生まれ。英国バーミンガム大学大学院国際関係学修士号取得。慶應義塾大学大学院法学研究科博士課程修了。博士(法学)。北海道大学専任講師などを経て現職。著書に『戦後国際秩序とイギリス外交』(サントリー学芸賞)、『倫理的な戦争』(読売・吉野作造賞)、『国際秩序』など。
◆板橋拓己〔いたばしたくみ〕
1978年栃木県生まれ。北海道大学大学院法学研究科博士後期課程修了。博士(法学)。成蹊大学教授などを経て現職。著書に『黒いヨーロッパ——ドイツにおけるキリスト教保守派の「西洋」主義、1925~1965年』『分断の克服 1989-1990——統一をめぐる西ドイツ外交の挑戦』(大佛次郎論壇賞)など。