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鶴岡路人 ウクライナへの「支援疲れ」で問われるもの

鶴岡路人(慶應義塾大学准教授)

ウクライナ支援における「情」と「理」

 ウクライナ支援は、ウクライナにとっても支援する側にとっても外交戦である。誤解を恐れずにいえば、ウクライナにとっての戦いは、支援を促すナラティブ(物語)をつくり出し、各国の政府と世論に訴えかけることである。「これはウクライナのみの主権と自由、民主主義のための戦いではない、欧州、そしてさらには世界のための戦いなのだ」というアピールはその最たるものである。それに対して、支援する側も、「ウクライナの戦いは我々の戦いだ」と連帯を示してきたという構図がある。これは、価値や道徳で語られる側面だ。ロシアの行為は許せないという憤慨に基づく支援である。

 他方、ウクライナ支援は各国にとっての戦略的利害計算の結果でもある。ロシアやウクライナに地理的に近いバルト諸国やポーランドなどにとっては、自国の安全保障がかかっている。仮にウクライナが倒れるようなことがあれば、ロシアの脅威が自らの国境に迫るのである。それを阻止したいと考えるのは戦略的発想だ。ここで止めなければ、将来より大きな損害を被ることになるというのである。ゼレンスキー大統領による発信のなかにも、こうした警告が含まれている。

 つまり、ウクライナ支援には大きく分けて「情」と「理」が存在する。その双方に「支援疲れ」がのしかかるのだが、支援のためのロジックが複数存在していることは、支援継続にとっては重要なことである。

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