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トランプ政権の「アメリカ第一主義」はなぜ誤りなのか

岩井克人(神奈川大学特別招聘教授)

アメリカ第一主義の誤謬

 アメリカは、基軸通貨としてのドルを持つことで、多大な利益を受けています。FRB(米連邦銀行)が発行するドルの6割はアメリカに戻らずに国外で流通しつづけるので、その額だけアメリカは外国製品をタダで買っていることになります(経済学でいう、シニョリッジ〔通貨発行益〕です)。また、国際取引を為替リスクがない自国通貨建てで行えることは、アメリカの企業や銀行に大きな優位性を与え、アメリカを国際金融の不動の中心地に仕立て上げています。そして、貿易や金融だけでなく、外交や軍事や文化においても、基軸国であることによってアメリカは多大な恩恵を享受しているのです。

 他方、ドルが基軸通貨であることは、金融政策に大きな制約を課します。たとえば国内景気が過熱気味であるのに世界的には不況が続いているとき、世界経済に配慮して、ドルの供給を縮小しすぎないことが要請されます。FRBは、国内の中央銀行であると同時に、世界の中央銀行としての役割も負わされているのです。そして、自由貿易体制や多国間政策協定や安全保障体制においても、基軸国アメリカには類似の役割が期待されているのです。

 このように、基軸国には世界全体の利益のために一定の規律が要請されることは、そこだけを切り取れば「世界のためにアメリカが犠牲になっている」と見えます。たとえば途上国の経済成長によるドル需要の増加に応じてその供給量を増やせば、国際収支が赤字化し、国内的にはドル・レートが過剰に高騰したように見えます。それは、だから国内産業の空洞化が起こったのだという、短絡的な思考を生み出します。

 事実、まさにこのような短絡的思考が、トランプ政権の掲げるアメリカ第一主義を作り上げているのです。それは、これまでアメリカが主導してきた自由貿易体制や金融システムや政策協定や安全保障体制をご破算にして、各国と個別に取引しなおそう。そうすれば、アメリカは大国であることを圧力にして、これまでよりもはるかに有利な貿易・金融・外交・軍事関係を結ぶことができる。それによって自国に資源を集中することができ、「アメリカは再び偉大」になるはずだ。そういう主張です。トランプが「トランザクショナル(取引的)」な大統領といわれる所以(ゆえん)です。カナダやメキシコや中国に仕掛けた関税戦争やゼレンスキーとの破局的な会談において、まさにこのような短絡的な思考が露骨に表明されています。

 しかし、この思考は誤謬です。自国だけでなく世界全体の利益を考慮するという制約を伴っていたとしても、すでに述べたように、これまでのアメリカの繁栄は基軸国としての地位に支えられていた部分が多い。確かに、第2次大戦後に基軸国になったのは超大国だったからです。でもいまでは基軸国であることによって、実体的な国力以上の超大国としての地位を維持しているのです。


(『中央公論』5月号では、基軸通貨ドルが揺らぐと日本はじめ世界経済にどのような影響があるのか、そのなかで日本の果たすべき使命は何かを論じている。)


構成:髙松夕佳

中央公論 2025年5月号
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岩井克人(神奈川大学特別招聘教授)
〔いわいかつひと〕
1947年東京都生まれ。東京大学経済学部卒業、マサチューセッツ工科大学Ph. D.取得。専門は理論経済学。イエール大学助教授、東京大学教授などを経て現職。東京大学名誉教授。近著に『経済学の宇宙』『資本主義の中で生きるということ』など。
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