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ガザ紛争を解きほぐす――ユダヤとイスラム、「数千年の対立」の誤謬

鶴見太郎(東京大学大学院准教授)×鈴木啓之(東京大学中東地域研究センター特任准教授)
鶴見太郎氏(左)、鈴木啓之氏(右) 撮影:種子貴之
 ベストセラー『ユダヤ人の歴史』(中公新書)の鶴見太郎氏と、『蜂起〈インティファーダ〉』などの著書がありパレスチナ問題に詳しい鈴木啓之氏。気鋭の研究者が中東情勢と宗教の複雑な関係を解きほぐす。
(『中央公論』2025年10月号より抜粋)

宗教と世俗の区分を疑う

――2023年10月7日のハマスによるイスラエルへの奇襲攻撃に始まるガザ紛争が起きてから、2年近くになります。イスラエルの強硬姿勢は変わらず、イランとの武力衝突にまで発展しました。この紛争を「宗教対立」と見る向きもありますが、改めて宗教との関係をどう考えるべきか、教えてください。


鶴見 今の中東で起きている紛争が「宗教対立」か否かを考えるには、まず宗教概念を検討し直す必要があると思います。

 日本では宗教というと、おそらく二つのイメージがあります。一つはその実態がよく理解できないことを指して宗教という言葉が使われている。要するに、よく分からない非合理なもの、くらいの意味です。

 もう一つは、キリスト教的な個人の信仰としての宗教です。日本人の宗教観はこのキリスト教の影響を受けていますし、仏教や神道もこちらに近いかもしれません。しかし、キリスト教的な図式をユダヤ教やイスラム教に当てはめると見誤ります。


鈴木 日本語の宗教という概念にキリスト教的な理解が入っていることは、現在の中東情勢を見るうえで踏まえておくべきだと私も思います。

 21世紀に入ってから、イスラム原理主義という言葉が人口に膾炙(かいしゃ)しました。しかし、原理主義(ファンダメンタリズム)は、もともとキリスト教社会の中で進化論などを否定するような一派を指していました。それがある時から、ハマスやヒズボラのようなイスラム勢力を理解する際の分かりやすい標語として使われるようになった。自分たちの物差しを使ってしまうと誤解も生まれます。


鶴見 宗教という概念自体を、ユダヤ教やイスラム教に即して捉え直す必要がありますね。

 ユダヤ教は個人の信仰というよりもう少し集団的なもので、家族やコミュニティの単位で日々実践されるものです。そのコミュニティを守るためという発想の中で、パレスチナの地にユダヤ人の国家を築こうというシオニズムが19世紀末に隆盛していきました。

 初期に多かった社会主義的なシオニストたちは、宗教的な言葉は使わずにあくまでもドイツやフランスのナショナリズムに匹敵するものとして、ユダヤ人のナショナリズムを掲げました。ただ、ユダヤ教の源流にあるユダヤ民族の物語を必ずしも捨てているわけではない。その物語を世俗的な言葉に翻訳していったというべきです。


鈴木 宗教が個人のものというより集団の中にある点は、イスラム教も同じだと思います。

 例えば、ラマダン(断食月)の時にイスラム教徒がモスクへ礼拝に行きたいという感情は、宗教的情熱ももちろんあるでしょうが、どちらかといえば社会の中での伝統だとか、家族との思い出といったものに近いように思います。日本で宗教と聞くと、出家して世俗から離れるイメージが先行するかもしれません。しかし、パレスチナとイスラエルで人々が実践している宗教はそうではない。

 フランスのジル・ケペルという研究者が1991年に『宗教の復讐』という本を上梓しました。本書で彼はキリスト教、ユダヤ教、イスラム教、それぞれの宗教復興運動を扱っています。世界は近代化をすればするほど宗教から離れ、世俗化していくと思われていたのに、それとは異なる動きが三大宗教に共通して起きていることを指摘したんですね。

 しかし、それから30年以上経って、宗教が政治運動化しているといった時に、イスラム教のみが真っ先にイメージされているのはなぜなのか。ここには、かつてエドワード・サイードが指摘したオリエンタリズムの問題もあるのかもしれません。イスラム社会は宗教に縛られているという理解の仕方ですね。

 しかしながら、実際に現地で暮らす人々は宗教に縛られているわけではなく、一方で宗教を捨てているわけでもない。宗教と世俗という区分けそのものが、難しいことを自覚しなければいけません。


鶴見 文化人類学者のタラル・アサドが世俗について西欧的な見方のみで理解することを批判しましたが、日本には一般ではもちろん、学術界でもまだ十分には省みられていないですよね。イスラム社会研究でよくいわれることですが、生活に宗教が馴染んでいて、「生活が宗教である」といってもよいくらいです。ユダヤ教にも当てはまると思います。


鈴木 よくハマスは宗教派でイスラム主義、ヨルダン川西地区を統治するファタハは世俗派といわれますが、ファタハに属する人も礼拝はしますし、決して世俗派とはいえない。逆にイスラエルの政権与党であるリクードも、完全な世俗主義とはいえないでしょう。

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