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菅政権が見逃した中国「強気の中の脆さ」

清水美和(東京新聞論説主幹)

軍がリードする強硬路線

 しかし、この方針で自らが主張する対外強硬路線を実現し影響力を拡大したのが中国人民解放軍にほかならない。今年三月に起きた韓国海軍哨戒艦沈没事件では、北朝鮮の魚雷攻撃と断定した米国と韓国が事件現場の黄海で合同軍事演習をすると五月に予告した。すると、中国メディアには軍人が盛んに登場し、中国の玄関先に米空母が侵入する演習に反対する発言を繰り返し、メディアやインターネットには軍人の発言を支持する意見が広がった。
 七月一日には最高位の上将である馬暁天副総参謀長が香港のテレビ取材に「中国領海に近すぎ強く反対する」と発言した。これに対し中国外務省の秦剛副報道局長は、六日の記者会見では「馬副総参謀長の発言に注意している。状況をよく見た上で態度表明をしたい」と述べ明言を避けた。しかし、八日になって「外国の軍用機や艦艇が黄海や中国近海で、中国の安全と利益に影響する活動を行うことに断固反対する」と述べ、公式に反対を表明した。軍人の発言がメディアやインターネットの支持を得る形で事態を決定した。中国の強硬な反対で米韓は黄海合同軍事演習への米空母の参加を断念することになった。

 米中の南シナ海をめぐる対立も、軍が実際の行動で強硬路線をリードした。〇九年三月、米海軍の調査船が南シナ海公海上で中国の情報収集艦など五隻に取り囲まれ航行妨害を受けた。トラブル地点について、米国側は公海上としたが、中国側は「中国のEEZで許可なく活動した」と主張した。事件は政権発足直後で対中関係の改善を目指していたオバマ政権が深入りを避け、双方が再発防止に努めることで手を打った。

 しかし、米国の弱腰を見た中国は、その後も南シナ海で米調査船に対する嫌がらせを続け、今年三月には訪中した米国務省高官に、中国は南シナ海の海洋権益を台湾やチベット、ウイグル問題と同じ「核心的利益」と見なすと通告した。これは主権と領土に関わる問題で外国の要求に妥協はできないという意味だ。六月にシンガポールで行われたアジア安全保障会議で馬副総参謀長は米国が南シナ海、東シナ海で中国の活動を厳しく監視していると非難し、台湾への米国の武器売却などとともに米中軍事交流の妨げになると主張した。

 エスカレートする中国の強硬姿勢に、クリントン米国務長官は七月にハノイで開かれた東南アジア諸国連合地域フォーラム(ARF)で、南シナ海の領土紛争には中立を維持するとしながら航行の自由を守る必要を訴えた。武力による威嚇を戒め多国間協議を通じた紛争解決を仲介する姿勢を示した。これに対し、中国の楊潔外相は声明を出し、クリントン発言は「実際には中国への攻撃」と批判した。中国海軍は南シナ海で大規模な実弾演習を行い、陳炳徳総参謀長が現場で「軍事闘争の準備をせよ」と指示した。軍の行動と主張が中国の強硬姿勢をリードし、それを牽制する米国の対応で海洋の緊張が高まった。

胡錦濤のメッセージ

 中国人民解放軍は近代国家としては実に異様な軍隊だ。国家財政に支えられながら、いまだに「党の軍隊」を自認し「国軍化」を「もっとも危険な思想」と排撃する。しかも軍の統帥権は党中央軍事委員会が掌握し、国家軍事委員会は存在しているがメンバーは党と同じで形骸にすぎない。党中央軍事委員会の一一人のうち、主席は軍歴のない胡錦濤総書記が兼務しているが、他のメンバーはすべて軍人で、全国人民代表大会や中央政府の国務院も干渉できない。戦前の日本軍が、統帥権は天皇にあるという建前で内閣や国会の干渉を許さず軍部独裁体制を築いていったことを想起させる。

 中国革命を導いた毛沢東、トウ小平と異なり、江沢民、胡錦濤という軍歴のない指導者が軍事委主席に就任してから、軍人をいかに統制し服従させるかは常に難題で、最高指導者は軍の主張や要求に迎合して地位を保ってきた。二年後に党指導部を一新する共産党第一八回大会を控え、総書記を辞任しても軍事委主席に留任し影響力を確保したい胡主席は、軍の強硬路線を受け入れ権力基盤の確保を図っている。胡指導部の外交路線は絶えず軍の意向に左右されるリスクを抱えているのだ。

 こうした経過を踏まえれば、尖閣事件で中国が示した強硬姿勢のナゾが解ける。九月十二日未明に副首相級の戴秉国国務委員が丹羽宇一郎日本大使を呼び抗議したことは日本で大きな反響を呼んだ。戴国務委員は胡主席の分身とも言える腹心で外交の舵を取る。北朝鮮の核問題をめぐる六ヵ国協議を創設し、米中の戦略・経済対話を取り仕切ってきた。安倍訪中による日中関係の打開も、当時外務次官だった戴氏が谷内正太郎外務事務次官とのパイプで実現させた。これまで、いかなる外交紛争でも大使に直接抗議したことのない戴国務委員が丹羽大使を呼び出したのは、強硬姿勢が胡主席自身の意思であることを日本側に悟らせる行動だった。

 船長の拘置後まもなく、春暁ガス田の操業開始に必要なドリル状の資材が運び込まれたのは、胡主席の主導で合意にこぎつけたガス田共同開発が尖閣事件で風前の灯となり、中国で単独開発の動きが強まっていることを示すものだ。中国の招待で九月二十一日から訪中を予定していた一〇〇〇人規模の日本青年上海万博訪問団に関し、中国側は直前になって受け入れ延期を通知した。日中の青年交流は安倍訪中に先立ち日中両国政府が合意し関係正常化の導水路となった。胡主席は師と仰ぐ胡耀邦総書記が一九八〇年代に始めた青年交流を復活させ、これに並々ならぬ情熱を注いできた。

 胡政権の対日外交を代表する事業が尖閣事件で次々と延期、中止に追い込まれたのは、中国船船長の拘束によって胡主席の対日重視路線が挫折しつつあることを日本側にアピールしたかったためではないか。しかし、民主党政権の中にそれに気付いた者がいただろうか。

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