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なぜ、「政権構想」はここまで空虚になったのか

橋本五郎(読売新聞特別編集委員)×星浩(朝日新聞編集委員)×飯尾潤(政策研究大学院大学教授)

橋本 政権構想とは、国の行く末を、ある種の夢や希望を織り交ぜながら提示し、実現するための手立てや、どれだけの覚悟があるのかを宣言したものです。一年ごとに政権自体がくるくる変わる状況では空しさもありますが、野田佳彦新首相が誕生した今、それがどんな意味を持つのかを考えてみたいと思います。

 二つの側面から口火を切りましょう。歴史的にみると、経済が右肩上がりで税収も豊かだった頃には政府はどこにお金を使うかという発想でよかった。田中角栄首相の「日本列島改造論」、大平正芳首相の「田園都市国家構想」など、すべてそうです。しかしバラマキが可能な時代は終わり、国民負担も含め新たな構想が必要になりました。そう指摘されはじめてはや一〇年。いまだ政治はそれを提示できないでいます。
 もう一つ。一五年前(一九九六年)の総選挙から小選挙区制が導入され、選挙は従来の人の対決から、党対党の戦いに変わりました。属人的な政策を掲げる余地は狭まり、政党のマニフェストで競うルールになりました。その結果、角栄さんや大平さんのような、リーダーの個性を色濃く反映した政権構想が作りにくくなっている。

飯尾 そもそもマニフェストや政権公約は、野党時代に何年もかけ、国民や各界の知恵も借りて、党が総力を挙げて練り上げるべきもの。政権を取る段階では、すでに議論は煮詰まり選択は定まっているから、みなが同じ方向を向いてすぐに実行できるはずなのです。ところが、民主党は党内の少数で議論しただけで、生煮えのものを出してしまいました。そのうえ、民主党の政治家は、口ではマニフェスト重視というのですが、党のマニフェストと自分の信念との関係が整理されていない。例えば鳩山由紀夫総理の場合には、マニフェスト実現については部下任せで、自分は、マニフェストに書かれていない米軍普天間飛行場の県外移設を勝手に口にして、自滅してしまった。

橋本 鳩山さんが施政方針演説(二〇一〇年一月)でいったのは、「いのちを、守りたい」でしたね。そして、「理念なき政治」「労働なき富」「良心なき快楽」......と、ガンジーの「七つの社会的大罪」を引用したのですが、結局自分で口にした大罪を犯してしまった(笑)。いかに構想がなかったかの証明として、実に興味深い演説でした。

飯尾 これは直前にインドを訪問し、ガンジーの慰霊碑に刻まれていたのをみて感動してそのまま引用した、という話ですから、あまり取り上げても仕方ありません。ただ昨年六月に鳩山総理が辞任したことには重大な問題があります。本来なら総選挙を行い、民主党政権が続くのがよいのか民意を問うべきだったのに、参院選でお茶を濁そうとし、しかも負けた。猛省して出直すかと思いきや、そうした気配はなく、菅直人総理は、自分の課題を新たに出してきて邁進する。今回のポスト菅の代表選でも、またもや総括もなく「構想」が語られるというのでは、反省が全く欠けているといわざるを得ない。

政治家の個性とは

橋本 先ほどの星さんの分析にあった、「政治家個人の思いを政権構想に反映しにくくなった」という話には、ちょっと異論があります。党の方針は、いわば下半身。しかし、上半身はあくまでも「自分」で、総理になったのは他の誰でもなく私なのだというところが重要です。角栄さんだからこそ列島改造論を実行し、それによって国土がメチャクチャになったのをみて、今度は大平さんが田園都市国家を構想したというように、個人の考え方が逆に党の方針に反映されるという法則は、今でも生きているはず。総理になるほどの人であれば早くから国家のあり方について考えているのが当然ですから、鳩山さんも菅さんも何も考えてこなかっただけのことではないでしょうか。

 民主党は下半身のマニフェストが、あまりにも杜撰にすぎたのです。人気取りのバラマキ政策をちりばめたはいいが、財源不足は初めからはっきりしていた。鳩山さんがガンジーを引き合いに出したり、菅さんが「最小不幸社会」とスローガンを掲げてみたりするのは、言葉の修飾として否定はしませんが、党の政策立案能力がひどすぎる。

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