諸葛孔明も「部下」の意見に耳を傾けた
後藤 話を現代に戻すと、意識的な養成を怠ってきたツケで、特に二〇〇〇年以降、永田町で次の人材補給がまったく間に合っていない状況が顕在化しています。三〇〇議席を奪い合うような?ぎったんばっこん?の選挙をやっているうちに、腰を落ち着けて何ごとかを究めてきたような政治家も少なくなってしまいました。ただ嘆いてばかりもいられません。あらためてこれから銘記すべき人材育成、人事の要諦とは何でしょう?
岡崎 まずは冒頭に述べたように、日本は官僚中心国家なんだということを再確認すべきではないでしょうか。官僚には人材もいます。
人事という点では、ポピュリズムを絶対的に排すること。日本の場合は特に、松岡洋右の裏返しみたいに、戦後の「偏向教育」をベースとした妄言を繰り返す類のポピュリズムが横行しているんですね。これを断つのが最も重要だと私は思います。
後藤 政策目標が明確ならば、それに沿った人事というのもおのずと見えてくるはずなんですね。それなくして「適材適所」を口にするのは本末転倒と言うしかありません。
岡崎 そういう意味では今回の外務省の次官、外務審議官、主要局長の人事は、久方ぶりにすわりのいいものでした。優秀だと思われる人間をきちんと上に引き上げた。あれが当たり前なのです。
後藤 小泉内閣時代に田中真紀子外相が破壊した外務省の背骨を、やっと再構築したという感じですね。普通の会社でも、「衆目の一致する人事」というのは重要なポイント。そこに情実が入り込むと、組織全体が疲弊していく。
岡崎 実は人の使い方という意味でヒントになるものはないかと、今回、中国の古典、『貞観政要』、宋の『名臣言行録』などいろいろあたってみたが、意外に少ない。見つけたのは諸葛孔明の「出師の表」。「侍中・侍郎(中略)此れ皆良実にして志慮忠純なり......」という一節で、孔明が優秀で忠実な人物を抜擢登用して、政治・軍事の問題を事の大小に関わりなく彼らにぶつけ、議論させてその意見を参考にしていたことが記されているのです。
後藤 そうなんですか。
岡崎 諸葛孔明といえば、人があっと驚く策略をすべて独りで作り実行してしまうというイメージですが、ちゃんと良質のブレーンを持ち、その意見には真摯に耳を傾けていたわけです。これこそ正しい人事というもの。
比較するのも何だけど、震災時の菅総理の対応は、この対極でした。思いつきでおかしなアイデアを出したり、ましてや現場を怒鳴って回ったりというのは、人の使い方を知らない人間のやることです。
後藤 高みにいて、すべてを見下ろせるリーダーの出現を望みたいですね。加藤紘一がよく話すのですが、自民党の四〇日抗争で福田と大平が激しく争っているさ中、大平に食事に誘われて「もし俺が総理になれなかったら、誰がなると思うか」と問われた。答えに窮していると「それは福田だよ」と。国のトップは、最終的には私情を超えて選ばなければいけないんだという卓見が、先日の総裁選や代表選からは、あまり伝わってきませんでした。
岡崎 政治の指導者の器というものは、当選回数とイコールではない。そこから考え直してもらいたいですね。
後藤 現実問題として永田町から人材が払底した観がある以上、弊害も多いが当面は日本で最も安定的な組織である官僚機構を活用すべきなのかもしれません。そうやって政治の人事をたて直した上で、その後の発展的な展開を考えるような青写真が必要なのではないでしょうか。
(了)
〔『中央公論』2012年11月号より〕