小沢一郎はヒドイやつあの大連立構想の時には......
─政局のお話が出ましたけれども、この二十数年間、何か動きがあるとそこには必ずと言っていいほど、小沢一郎という政治家の名が見え隠れしました。小沢さんの評価を、ぜひうかがっておきたいのですが。
藤井 自民・自由連立の小渕内閣の時、森さんと私は幹事長同士だったのですけど、党首の小沢さんから森さんにお願いに行けと言われたのが、消費税の税率引き上げに関してでした。実現のために国会議員の定数削減を行うことと、目的税にするよう提案すべし、と。まったく正しいわけですが、その小沢さんがどうして突然「反消費税論者」に転向したのか、常識では考えられません。
森 例の大連立構想の時、彼にこっそり呼びかけられたわけですよ、私。
─福田内閣ができたばかりの時。
森 「一ちゃん、何のためにやるんだよ?」と聞いたら、「消費税だよ。これを口にするたびに内閣が潰れるようでは、日本の税体系はいつまでも不安定なままだ」と。あの時の目は真剣そのものだったね。で、「それだけだと我が党を抑えきれないから、憲法改正もやろう」と提案したら、「いいね」と。
─小沢さんは「民主党がこのまま政権を取ってもうまく政権運営できないから、まずは大連立だ」とも言ってました。その点でも、先見の明はあった。
森 私は念を押したんですよ。「俺はやってみるけど、お宅は大丈夫なのか?」って。そうしたら「今は俺が選挙に勝たせてやった"選挙マジック"が効いているから、問題ない」と言うんだな。なのに蓋を開けてみたら、民主党内部でコテンパンにやられちゃった。やっぱり民主主義なんだから、しっかり根回しして、有力者の賛成をとりつけておかなきゃ。
藤井 あまりに唐突だったんですね。
森 小沢さんとは同期当選組だけど、初めの頃はよくあんな勇気があるなと、ある意味、尊敬してたんですよ。ところがある時期から、なぜか腹心が次々に彼の元を離れていった。
その理由は、今は分かりますよ。あれだけ迷惑をかけた大連立騒ぎの後、「すまなかった」の電話一本ないんだから。あげく二〇〇九年の総選挙では私の選挙区に女性の「刺客」を立て、投票日前日の「最後のお願い」にわざわざ乗り込んできて、「ここで勝利すれば、真の政治の夜明けが」みたいなこと言うんだから。要するに、俺を落とせってことだよね。(笑)
藤井 日本を変えたいというのは、本心なんですよ。そのための選挙であり政局なのでしょうけど、いかんせん......私は政権交代が引き際だったと思います。司馬遷の「四時の序、功を成す者は去る」、すなわち「春夏秋冬が移り変わるように、役割を終えたら次の人間に譲るべき」という詩を引き合いに出して、「今がその時だ」と申し上げたのですが。けっきょく党を出て、選挙で惨敗してしまった。世の中の人が小沢さんの行動をよく見ていた結果だと言わざるをえないですね。
完璧な選挙制度はない
──小沢さんの行動は極端だとしても、政党自体が、共有する価値観の下に結集するというより、当選のための選挙マシンみたいに変質しているような気がしてなりません。
森 今の衆議院は、内戦を勝ち抜いた三〇〇の諸大名を中心に構成されているわけですね。彼らはいつまた選挙になって寝首をかかれるか、気が気じゃない。もう選挙区のことしか頭にはなくて、天下国家のことを江戸で議論する余裕など、ないんですよ。具体例を挙げれば、外国との関係をフォローする議員連盟の世話人が、ほとんどいなくなってしまいました。選挙に関係ないですからね。かつてはアメリカは誰、中国は彼、というのがいて、問題が起こると政府が行く前に飛んでいって、こっそり話をつけたりしたわけですよ。それがなくなってる。私が「今の若手に任せて大丈夫か」と言うのは、たとえばそういうところです。
昔は中選挙区で、しかもある程度当選回数を重ねていれば、そんなに選挙を心配しなくてもよかったのですが、今は大ベテランでも安穏としていられないですからね。小選挙区制度の弊害は小さくないと、私は思いますね。
──中選挙区なら三〇%の得票でよかったものが、小選挙区だと五〇%が必要になる。
藤井 私は一応、小選挙区論者なのですが、羽田孜さんが自民党の選挙制度調査会会長だった一九九〇年頃の議論の中身をご紹介すれば、中選挙区だと同じ自民党の候補であるにもかかわらず、たとえば「あいつは消費税に賛成だが、俺は反対だ」ということが起こるのです。ところが永田町に乗り込んだとたん、意見は一本にまとまる。どちらかが有権者を裏切ることになるんですね。かつ、小選挙区の戦いも激しいですが、中選挙区の派閥の威信をかけた争いも、それは激烈なものでした。