四月十二日、沖縄の米軍普天間飛行場は、日米両政府が全面返還に合意した一九九六年から一八年目を迎えた。
ほとんど不可能と見られていた普天間返還に向け、橋本首相(当時)は政治主導で米クリントン政権と交渉し、「五〜七年以内に日本に全面返還」とする合意を劇的にまとめあげた。
だが普天間は今、一センチも動いていない。遅くとも二〇〇三年に達成するはずだった日米合意は、〇六年に「一四年に移設完了」と目標が後ろ倒しになり、それも一一年に断念された。
合意が宙に浮く中、民主党から三年三ヵ月ぶりに政権を奪還した自民、公明両党による安倍政権は、日米同盟立て直しの象徴の一つとして、再び普天間移設に本腰を入れ始めた。
三月二十二日、政府は、普天間移設先として日米が合意している沖縄県名護市辺野古沿岸部の埋め立て許可を仲井真弘多・沖縄県知事に申請した。移設をめぐる久々の大きな動きだった。
すべてがかかる知事の判断
普天間移設の作業は、代替施設建設の場所選定に始まり、地元の合意形成、環境アセス──など数々のステップが続く。埋め立て申請はそのうちの一つで、代替施設建設の着工に必要な行政手続きである。
申請を知事が認めるかどうか──。本来は事務・技術的な行政手続きだが、今、その判断には、普天間移設の行方のほぼすべてがかかっている。
というのも、政府は四月二日、知事が申請を却下した場合について、「地方自治法の規定による代執行等を行うことは検討していない」とする答弁書を閣議決定したからである。「代執行」とは、行政上の強制執行の一種で、政府がこの選択肢を捨てれば、知事が「ノー」と言った場合、埋め立て工事は進められなくなる。「そうなれば、普天間返還は今度こそ、もう実現できないだろう。知事の判断が最大の焦点だ」と、防衛省幹部は語る。
仲井真知事は、判断に「申請から八〜一〇ヵ月」かかるとしている。普天間返還が進むか、あるいは最終的に挫折するのかは、今年末から来年一月ごろに決着がつくことになるわけだ。拙稿では、それまでにポイントとなる要素を、主に二つに分けて見ていきたい。一つは、日米合意の意味、二つ目は、東京─那覇の関係である。
普天間を「切り離した」
普天間移設をめぐる日米間の合意は、一二年二月八日、一つの転機を迎えた。日米は、〇六年合意の在日米軍再編計画を見直し、それまでセットだった「普天間移設」と「沖縄米海兵隊のグアム移転」を切り離し、グアム移転を先行する「基本方針」を決めた。
それまでは、グアム移転のために普天間も急がせ、米国は、ある意味の"外圧"として、移設進展に間接的に関与していた。だが、「切り離し」によって、普天間は、日本政府と沖縄の間の「国内問題」となった。
極端な言い方をすれば、普天間はこの時、「実現しなければ日米同盟がただちに危機に陥るトップ・アジェンダ」の位置からは退いた、といえる。だが、普天間飛行場が現在ある宜野湾市に「固定化」する恐れは一層高まった。
安倍政権になり、日米は今年四月五日、普天間移設に再度弾みをつけるため、米軍再編で返還対象となっている米軍嘉手納基地以南の施設・区域に、改めて具体的な期限を設定し直した。
首相は「日米同盟の信頼が揺らいでいないことを示したい」と、時期の明示にこだわった。沖縄県民に基地負担軽減のプロセスを具体的に示し、理解を得る狙いもあった。その結果、普天間移設の目標は「二〇二二年度、またはその後」となった。
こうした動きに対し、米議会はやや冷ややかな見方をしている。上院の軍事委員会は四月十七日に発表した報告書の中で、普天間移設の見通しを「はるか先」と分析した。
上院ではもともと、移転費などの予算審議に影響力を持つカール・レビン軍事委員長(民主党)やジョン・マケイン筆頭理事(共和党)らが、普天間移設の行方に厳しい見方をしてきたが、新たな期限設定や日本政府の埋め立て申請後も、その見立ては変わっていない。報告書はこう指摘している。
「(沖縄県内移設が)論議を呼んでいるため、沖縄県知事が埋め立て申請を認める時期は不明確である」
「司令塔」は菅官房長官
一八年越しの日米間の重い課題への判断を突きつけられることになった仲井真知事を取り巻く情勢は厳しい。「最低でも県外」と理想を語ったあげくに迷走した民主党の鳩山元首相の言動により、多くの沖縄県民の政府に対する信頼は、なお失墜したままだ。