暴力と抑圧の三つの代償
暴力や抑圧による現代独裁制の恐怖支配には、少なくとも三つの副作用がともなう。
第一に、統治に不可欠な情報が手に入りにくくなり、統治の効率性が低下する。つまり抑圧を強めれば強めるほど、市民は抑圧を恐れて体制や政策への批判を躊躇し、体制に都合のよいことしかいわなくなる。この「選好の偽装」は、独裁政府が市民の思惑や現場の政策ニーズを把握することを困難にする。そして、こうした情報不足による不確実性の高まりを、治安機関の強化で補おうとして悪循環に陥る。現在進行する中国の統制強化は、このリスクを長期的に孕むだろう。
第二に、恐怖支配は対外関係に悪影響を及ぼし、国際援助を縮小させる。冷戦後、欧米諸国は資本主義陣営と共産主義陣営の対立という軛(くびき)から「解放」され、政治的自由化に呼応するように途上国へ国際援助をおこなってきた。選挙の実施に応じて選挙監視団を派遣したり、独裁政府の抑圧と不正の度合いに応じて経済制裁を行使したりすることで、民主化のインセンティヴを供与してきたのである。マキャヴェッリが活躍した16世紀イタリアのように権威主義体制が支配的だった時代や、独裁体制でも共産主義に対する防波堤である限り米国が積極的に支援した冷戦期と比べて、冷戦終結後の国際社会による対外的な制約の高まりは、独裁体制の抑圧コストを引き上げることとなった。その一方で中国やロシアなどの権威主義大国が、途上国に国際支援や選挙介入をおこなうようにもなり、確立されつつあった国際規範は曲がり角を迎えている。しかしそれでも、選挙を実施する現代の独裁者にとって、国際援助の縮小が重要な制約となり続けていることに変わりはない。
第三に、治安部隊など強制的手段への依存は体制内外の敵対者を強化し、大規模な反政府運動につながることがある。例えば1990年代のサブサハラ・アフリカ諸国の政治的自由化、2000年代のポスト・ソヴィエト諸国の「カラー革命」、2010年代の「アラブの春」など多くの体制変動は、独裁政府の選挙不正や抑圧に対する抗議運動が大規模化して生じている。ミシガン州立大学のエリカ・フランツは、冷戦後に抗議運動や反乱によって、より頻繁に独裁者が権力の座から追われるようになったことを実証的に示す。他方、暴力と抑圧を行使するための治安部隊の強化は、軍部の力を高め、クーデタのリスクを高めてもいる。ゆえに軍への依存は、軍の巧みな統制方法をも要し、一朝一夕に達成できない新たな問題を独裁者に課してきたのである。