社会的エリートへの不満と憎悪
指導者へのリスペクトの欠如と言えば、野党を中心とした官僚バッシングにも大きな問題がある。国会議事堂内の衆議院第16控室。私が野党議員をしていた2000年代には、民主党の「次の内閣」の「閣議」が毎週開催されていた。その同じ部屋で代わって連日行われてきたのが「野党合同ヒアリング」だ。全ての野党議員の追及が礼節を欠いているわけではなく、見直し論もあるが、このヒアリングで各省庁の中堅若手官僚たちは、時に2時間、3時間も入れ代わり立ち代わりの野党の「論客」の追及に耐えなければならない。それも報道各社のカメラの放列のなかでである。官僚にとっては授権枠外の質問も多く、紋切り型の受け答えをせざるを得ないなかで、野党議員はしばしば苛立ち、官僚をパワハラまがいに面罵する局面も少なくない。国会の委員会であれば、次回日程や資料要求は与野党合意のもとに決定されるが、野党合同ヒアリングでは、この圧迫的な政治的接触を交通整理するような与党議員は出席しないため、官僚たちは野党議員が声高に要求する資料を、連日のヒアリング期間中に宿題返しという名目で毎日処理していかねばならない。本来ならば中堅若手官僚は、その労力を経済社会の実態分析や政策立案に割くべきなのだが、このヒアリングが彼らを著しく疲弊させている。加えて、野党議員に罵倒まがいの追及を受ける映像がテレビの情報番組で面白おかしく報道され、ネットにも流出することで、官僚たちの自尊心を傷つけ、その社会的な信頼をも大きく損ないつつある。
野党議員が、一時期は与党として共に仕事をした官僚たちを容赦なく責め立てる背景には、自民党の政権復帰により、かつての部下に掌を返されるような屈辱を味わった感情的な要素があるのだろう。加えて、先述した爆笑問題・太田氏の行動と同根で、野党合同ヒアリングでの官僚追及映像の向こう側には、それを視聴して溜飲を下げる少なからぬ国民の存在があるはずだ。カメラ目線でヒアリングに登場する野党議員たちのなかには、官僚を厳しく叱責する姿をアピールすることで、既得権益に批判的な層の支持を得ている人物も少なくない。過半数とはいかないまでも、党勢が一定程度ある状況下では、その映像が比例復活に必要な票を積み重ねて連続当選を果たすことに役立ったのであろう。もっとも、今回比例票を大きく目減りさせた野党においては、こうした活動に依存してきた議員の相当数が落選の憂き目をみているようであるが。
私が強く懸念するのは、長期にわたる日本経済の停滞と格差の拡大やその固定化が進むなかで、社会的分断が進み、一定の社会・経済集団が政策立案責任者、すなわち政治家や官僚への反感と憎悪を募らせ、それをメディアや一部の政治家が煽ることでますます分断の溝が深まってしまうことである。
野党勢力はこうした不満や憎悪のエネルギーが与党との政治闘争に有利に働くと考え、それを利用しようとしているけれども、指導者批判の矛先は野党にも容易に向かいうるのだ。現実に、与党はこの10年で、一部の不満層の反野党勢力化に成功しているように見受けられる。与野党が、そしてメディアが、権力批判や敵対勢力批判を行えば行うほど、そうした権力批判層は社会に澱のようにたまり、与野党双方や既存メディアなど社会的エリート全般への不信と批判に流れていっているのではなかろうか。
1960年京都市生まれ。83年東京大学教養学部卒業後、通商産業省(現・経済産業省)入省。94年内閣官房内閣副参事官、96年行政改革会議へ出向し省庁再編案作成に参画。2000年に退官、01年民主党から出馬し参議院議員に初当選。内閣官房副長官、筆頭副幹事長などを歴任。13年に政界引退。一般財団法人創発プラットフォーム理事を兼務。