下り坂の時代のリーダーシップ
千正 僕は「霞が関の働き方改革」を謳った活動を有志の元官僚、現職官僚の人たちとやっていて、内定者から入省3年目くらいまでの若手官僚とも付き合いがあるんですけれど、彼らにとっては省庁も民間企業も選択肢の一つで、霞が関を相対化して見ていると感じますね。僕らが入省した頃はまだ、「ここで一生やっていくんだ」という思いで入ってくる人が多数派だったと思います。
小川 僕は94年に大学を出て自治省に入ったんですけれど、当時の東京大学法学部には官僚志望者がたくさんいましたし、いわゆる成績上位者ほどその志向が強かったように思います。そのおそらく全員が、ある意味国士を気取って、生涯かけて国家のために働こうと思っていたのではないかと。なかには天下りまで考えていた人もいたかもしれないけれど、霞が関を腰掛けにしようという人はいなかったんじゃないかな。
千正 善悪の問題ではなく、感覚が変わりましたよね。
小川 うん、そうだと思う。今のほうがいいなと思うのは、残業代が出るようになったことくらいかな。自治省のキャリア組は入省3ヵ月の見習い期間が終わると地方県庁に赴任するのですが、僕は沖縄県庁で2年働いて、自治省に戻ってきてしばらくたった頃の97年に、北海道拓殖銀行と山一證券が経営破綻したんです。日本では未曽有の金融危機が起こって、僕らは税制改正の仕事に当たったんですが、これが大変な仕事量で、毎月300時間くらいは残業していました。夜中の2時、3時まで働いて、タクシーで1時間半かけて千葉の習志野市にある古い官舎へ帰って、2時間寝たら津田沼駅まで25分歩いて満員電車に乗って、9時過ぎには霞が関に戻るという生活が1年半ほど続きました。でも国家公務員は労働基準法の適用外だから、残業代は月数万円までしか出ないし、むしろ深夜のタクシー代のほうが毎日2万円。狂ってましたね。
千正 残業代は支払われるようになってきましたけれど、今でも深夜タクシーの行列は消えていませんね。過重労働であることは変わらない。
小川 そうですね。働き方改革が不十分なだけでなく、社会から官僚へのリスペクトとか、公に仕えることの誇りがないと、肉体も精神ももたないでしょうね。
──小川さんは、右肩上がりの時代には、官僚が設計図を描いて政府が追認するボトムアップの意思決定でよかったが、右肩下がりの時代には政から官へのトップダウンでないとうまくいかない、と繰り返し訴えておられます。ここまでのお話では、政治主導のトップダウンにより官僚たちが疲弊しているとも解釈できるのですが。
小川 それはトップダウンに合った国会改革がなされていないことと、民主党政権時代も含めてこの国がトップダウンにふさわしいリーダーを持てていないことの両面がありますが、そもそもなぜトップダウンのリーダシップ、つまり官僚主導から政治主導への転換が必要なのかを考えないといけない。
千正 そうですね。政治主導そのものが疲弊の原因というより、政治主導の中身が問題だし、そのためには国会改革が必須条件だというのも同感です。