理想の立地条件
そんな中で、熊本がTSMCの工場建設地となったのはなぜだろうか。そこには、TSMCにとって熊本が理想的な立地条件を備えていたことが関係する。
まず、熊本には豊富な電力と水がある。半導体の製造にとって電気と水は不可欠な要素である。半導体を製造する際に用いる製造装置には、巨大な電力を必要とする露光機などがあり、電力供給が不安定な地域では安定した事業を営むのが難しい。その点、九州では原発が稼働していることもあり、電力供給が安定しているという利点がある。諸外国と比べれば電気料金が高い日本ではあるが、九州では相対的に電気料金も安い。
また、阿蘇山のおかげで豊富な地下水がある熊本では、半導体に必要な不純物の少ない水が得られるという魅力もある。実は世界を見渡しても、電力と水が豊富な場所は多くなく、同じくTSMCが進出を決めているアメリカのアリゾナ州では、水の確保が大きな問題となっている。
また、熊本は、TSMCが進出する前からソニーの半導体工場が稼働しており、半導体関連企業がすでに進出していた。そのため、TSMCが必要とする薬品や素材を提供する企業がすぐそばにあるということも重要であった。
TSMCが台湾で成功したのは、もともとOEMと言われる下請け生産の文化があり、生産能力に特化した企業が多数あるという状況が背景にある。TSMCの本拠である台湾の新竹(シンチュー)には1000を超える中小企業が集中しており、昼夜を問わず、TSMCの活動を支えている。TSMCの強みは顧客である半導体メーカーの要望に応えて、常に柔軟に生産体制を組み替えられることや、無理のある注文であっても納期を厳守するといった企業文化にある。そうした生産を可能にするのは、常に半導体工場に材料や部品を提供し、生産を支えるサプライヤーが近くにあるからである。ゆえに、TSMCにとって産業集約が可能な土地があり、すでにそうした基盤が整っている熊本は理想的なのである。
さらに、日本には、半導体産業を支える材料や製造装置の分野で、国際的に競争力のある企業が多数存在している。半導体を生産する際に、シリコン基板の上に貼る膜を製造する装置や、その膜にあたる材料を生産する企業など、国際的に突出した能力を持つ企業があり、それらの企業と共同で製品を開発できるという利点がある。
半導体は極めて微細な加工を施すため、大量生産に耐えられるだけの安定した品質の材料が提供でき、ナノメートル(10億分の1メートル)レベルでの精度を持つ製造装置が必要である。半導体は製品によって求められているパフォーマンスや性能が異なるため、細かいところまでサプライヤーと詰めた議論をして、高い品質の製品を作り出すことが求められる。TSMCはまさにそうしたサプライヤーとの協働作業によって競争力を得てきたわけだが、それと同じことを実現しようとするなら、有力な素材や製造装置メーカーのある日本は理想的と言えるだろう。
加えて、熊本は台湾との距離的な近さがある。TSMCの工場で働く労働者の多くは日本の人たちだが、製造の中核をなす技術者や工場のマネージャーとして台湾から多くの人たちが来る。普段は日本に常駐していても、週末や休みの期間に台湾に戻り、家族や友人と会える距離にいるのは心強いであろう。TSMCはアメリカやドイツにも工場を建設することになっているが、それらの国で働く人たちと比べれば、プライベートな面でもストレスが少ない熊本は理想的な立地と言える。
(続きは『中央公論』2024年10月号で)
1970年長野県生まれ。立命館大学大学院修士課程修了、英サセックス大学大学院ヨーロッパ研究所博士課程修了。Ph.D.(現代欧州研究)。専門は国際政治経済学、科学技術政策論。北海道大学教授などを経て現職。地経学研究所長。著書に『宇宙開発と国際政治』(サントリー学芸賞)など。