社会保険の適用拡大と年収の壁
ここではまず「106万円の壁」について考えてみよう。現在、社会保障審議会年金部会で議論している社会保険の適用拡大案は、現行の適用要件から基本給が月額8.8万円以上であるという収入要件を撤廃し、勤務先企業の従業員が51人以上(もしくは5人以上の適用業種の個人事業所)であるという企業規模要件を5人以上に緩和しようとするものである。現行の最低賃金水準で週20時間勤務した場合、概ね8.8万円を上回る給与収入となるため、基本給の水準を要件に定めておく必要性は非常に小さくなったからである。これにより、短時間労働者の社会保険適用要件は、週の所定労働時間20時間以上と非学生という2点に簡素化されることになる。つまり、「106万円の壁」が「週20時間の壁」に置き換わるとも言える。
ただし、被用者の社会保険料は、基本給のみではなく、各種手当、賞与、通勤手当までを含めた総報酬を賦課の対象としており、所得課税のような所得控除は存在しないため、適用要件水準近辺の労働条件で社会保険に新規加入した場合、手取り所得が従前より減るというケースがあり得る。しかし、そのような計算は、いささか影響を過大に評価していることにも注意が必要である。このような議論は、暗黙裡に専業主婦世帯、特に配偶者の社会保険の被扶養者(国民年金第3号被保険者)として、自らの保険料負担なしに社会保険の給付を受けられているような世帯を仮定した議論になっている。
被用者保険に加入していない人には、被扶養者だけでなく、自らの負担で国民年金、国民健康保険に加入している人たちも相当数存在することには留意が必要である。実際、国民年金加入者の約4割が短時間労働者を含めた被用者であり、この人たちの存在を忘れてはいけない。このような人たちの保険料負担は、むしろ適用拡大で減ることになる。
また、週20時間を超えて社会保険適用の環境で働くかどうかは、雇用契約時の労働者の判断である。これまで通り週20時間以内の短時間労働者として働くのも、20時間の枠を超えて働き、将来の厚生年金給付や傷病手当金等の保険の便益を享受するのも、労働者が最善と思えば良き選択である。保険料負担のみに着目して、制度によって自動的に手取りが減らされるかのような議論は、現実を正確に捉えているとは思えない。
(『中央公論』2月号では、このほかに「103万円の壁」「130万円の壁」について議論を整理するほか、「扶養」という重要概念について論じている。)
1973年愛媛県生まれ。横浜国立大学大学院国際社会科学研究科博士後期課程単位取得退学。博士(経済学)。専門は公共経済学。論文に、“Fiscal responses to the COVID- 19 crisis in Japan: The first six months,” National Tax Journal Vol. 73(3)など。