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若松邦弘 既成政党への不信と怒り......イギリスはなぜ「わかりあえない」分断社会になったか【著者に聞く】

若松邦弘
わかりあえないイギリス/岩波新書

――日本の民主主義のモデルともされるイギリス政治について、1990年代から2010年代末までに生じた有権者の変化に主眼を置き、いかに「わかりあえない」分断社会になっていったかを詳述しています。


 執筆依頼があったのは2016年、イギリスのEU離脱(ブレクシット)の是非を問う国民投票の直後でした。依頼としては、大方の予想を覆す形で離脱派が勝利したこの国民投票についてのルポ的なものが期待されていたのかもしれませんが、私は、そこに至る過去数年の動きに照らすと、イギリス政治の景色がこれを機に大きく変わると感じ、その様子をしばらく観察した上で、全体像を少し長い射程でとらえるのがよいのではと思いました。

 その際に注目したのが有権者です。もともと研究者として、日本のイギリス政治への関心が議会や選挙などの制度面に集中し、政治におけるもう一つの重要な要素である有権者にはあまり目が向けられてこなかったのではないか、という問題意識もありました。

 はたしてその後、19年末の総選挙でブレクシット断行を掲げたボリス・ジョンソン首相率いる保守党政権が地滑り的勝利を収めたのですが、その得票の内実は、従来の固定的な保守党支持とは一変していました。現状に不満を抱く流動化した有権者を、ポピュリズム的な訴えで保守党が根こそぎさらった。こうした政治の構造変化に至るまでの約20年を追ったのが本書です。


――イギリスが「わかりあえない」社会になったきっかけは何でしょうか。


 前世紀までのイギリスは、資本主義が世界で一番早く発達し、格差が深刻な問題であり続けた歴史的経緯から、あらゆる物事を「階級」の観点でみる傾向が強い国でした。政治についても、中間層以上に支持される保守党、低所得者層に支持される労働党という固定的な対立図式が一般にはありました。

 それが変化するきっかけとしては、やはり経済的格差の拡大をもたらしたグローバル化の進展がカギで、起源は1980年代のサッチャー政権にさかのぼる必要があるでしょう。グローバル化自体は人為的にはどうしようもないのですが、その際に生じる負の影響を歴代政権が放置したのが問題でした。

 サッチャー流のネオリベラリズムは、トリクルダウン効果(競争力のある部門が作り出した価値が全体に自然にいきわたるという考え方)に期待したのですが、結局機能しませんでした。

 90年代から2000年代には、ブレア政権のようにメディアを利用したパフォーマンス政治も台頭しましたが、ロンドンに代表されるいわば都会目線が顕著で、それに対する違和感も地方の有権者を中心に蓄積されていきました。たとえば格差についても、都市部の貧困問題には関心が強いが、公共サービスが縮小されて不便になっている地方の状況は無視されたまま、という不満です。ロンドンのエリートはわれわれの現状が何もわかっていない、という怒りが爆発したのが、EU離脱をめぐる国民投票でした。そこに地方の農漁村が伝統的に持つ社会的な保守性が、大都市エリートのリベラル性への反発という形で結びついた。こうして従来の経済的な対立軸に収まらない、社会的保守と社会的リベラルという新たな対立軸が浮上してきたのです。


――日本政治でも、これまでとは異なる対立軸が現れているように思います。


 この本を書く上で念頭にあったのは、やはり日本のことでした。もちろん日本の政治は専門としていないのですが、新興勢力が導火線となる形で、不満が表出し始めた印象はあります。

 若者や氷河期世代の不満は、伝統的な経済の対立軸で理解することもできますが、地方における自民党支持層の瓦解は、中央の政治に対して地方の不満が噴出した可能性があります。イギリスの場合、それは単なる経済的な格差にとどまらず、大都市中心の政治の進め方(文化)自体への地方の嫌悪に発展し、非妥協的な価値観の対立となりました。日本はいま瀬戸際的状況にあると思いますが、イギリスの轍を踏まないことを願うばかりです。


(『中央公論』2025年10月号より)

中央公論 2025年10月号
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若松邦弘
〔わかまつくにひろ〕
1966年北海道生まれ。東京外国語大学教授。東京大学大学院総合文化研究科修士課程、英ウォーリック大学大学院博士課程修了。政治学博士(PhD in Politics)。東京大学助手などを経て現職。専門は政治学、イギリス現代政治。共著に『ポスト代表制の比較政治』『現代政治のリーダーシップ』など。
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