ナショナリズムは「縦」から「横」へ
――そうした既存政党の間隙を縫って参政党や日本保守党のように新たに「保守」を掲げる政党が相次いで登場し、支持を集めています。彼らの「歴史観」にはどのような特徴があるのでしょうか。
その人、その政党ごとに中身はバラバラという印象を受けますが、自民党内の保守派も含めて共通するのは、「横のナショナリズム」です。
戦前の日本は「縦のナショナリズム」でした。天皇が上、臣民が下という「君臣の別」を重んじる思想的枠組みです。この考えは幕末より徐々に浸透し、明治維新の原動力になりました。さらにソ連の成立により共産主義の脅威が現実味を帯びる中で、対抗軸としてさらに理論武装され、独自の国体論や皇国史観へと展開していきました。神武天皇以来、日本は万世一系で男系男子の天皇によって統治されてきた、その統治の正統性は天照大神の神勅により保証されているという考え方です。
しかし、昨今の保守はこの縦の関係を重視しているのかはなはだ疑問です。むしろ戦後民主主義的な「横並び」が目立ちます。
典型的なのが、参政党が昨年の参院選に向けて製作したポスターです。そこには天武天皇や聖徳太子の他に、徳川家康や西郷隆盛まで描かれ、最後に「私たち」が位置づけられていました。明らかに「君臣の別」に反していますから、戦前なら問題になったのではないでしょうか。
小野田紀美経済安全保障担当相も、かつて「卑弥呼の時代から歴史を刻んできた我が国そのものに忠誠を誓っています」とSNSで述べたことがありますが、これも戦前の国体論からすれば驚くべき発言です。
あるいは高市氏が総理に就任後、かつて「教育勅語」を礼賛していたことを批判されました。しかし、おそらく総理が前提としているのは「国民道徳協会訳文」という「現代語訳」です。これは戦前から見れば「不敬」な訳し方をしていることで知られており、「君臣の別」が意識的に誤魔化されています。例えば、「皇祖皇宗」が「私たちの祖先」となってしまっている。戦後日本で普及させるために、戦後民主主義の価値観に寄せているわけです。それなのに、保守派の間ではほとんど問題とされていません。
つまり、戦前の価値観とは明らかな断絶があることにすら、気づきにくくなっているわけです。昨今はその傾向はますます顕著になり、ナショナリズムももはや「横」でなければ誰も心から同意できない状態になっているように思います。
これはある意味で、当然かもしれません。戦後80年を経過した今、戦前の「縦のナショナリズム」は、我々にとってあまりにも遠い。そういう社会は想像もできないし、復活させる気もない。戦前を重視している保守の人でも、戦後のある種の豊かさは完全に否定できません。
ただし、「戦後民主主義」は革新側が推していたので、保守は正面切って使いにくい。また保守本流は経済最優先だったので、戦前の国体論に代わるような国民統合の物語(歴史観)を作ることも後回しにしていた。明治政府のように、欧米列強の脅威にさらされながら大急ぎで「神武創業」という物語を国民に浸透させようとした時代とは大きく違ったわけです。
そういう環境で戦前の意匠と戦後の豊かさへの肯定感を無理に合体させようとしたため、歪(いびつ)な歴史観があちこちで生まれているのでしょう。安倍氏の「日本を取り戻す」も、単なる戦前回帰ではなく、映画『ALWAYS三丁目の夕日』が参照されていたことを思い出すべきです。
(『中央公論』2月号では、この後も戦後80年を経た中での「保守」の現状や新たな歴史観を紡ぐべき理由と方法について論じている。)
構成:島田栄昭
1984年大阪府生まれ。京都大学客員准教授。慶應義塾大学文学部卒業。政治と文化芸術の関係を主なテーマに、著述、調査、評論、レビュー、インタビューなどを幅広く手がけている。『「戦前」の正体』『ルポ国威発揚』『「あの戦争」は何だったのか』など著書多数。