原子力は「絶対悪」か「優等生」か
それはともかく、しかし、その「三・一一」以後、旧民主党政権の末期、日本のエネルギー戦略の将来をテーマに、幾つかの動きがあった。例えば、原子力への依存度を何割程度にするかという点も含めたTA(技術評価)も行われた。しかし、例によって、同党の通弊で結局は何ら具体策もないままに、政権は終わってしまった。その主力メンバーを引き継いだ形の現在の立憲民主党の政策アジェンダには、結果的に、原子力のゼロ・オプションが掲げられている。
いずれにせよ、「三・一一」によって、原子力に関しては、有無を言わさない絶対悪という世論が造り上げられたことは事実である。先ほどの立憲民主党の綱領は、そのような世論を代表している。従って、既存の施設の再稼働も一切認めない、という姿勢が生まれる。
言うまでもないことだが、温室ガスの排出という点に絞れば、原子力は優等生である。もっとも、巨大化する施設の建設時には、実は相当量の排出ガス負担のエネルギーを費やす、という計算が確立されて、プラス・マイナスの帳簿がどちらに傾くか、という議論の結論は簡単ではないが、将来の新設という点では、この帳簿繰りが重要になるのは自明である。ただ、すでに建設してしまった施設に関しては、温室ガス排出についての原子力の優位性は、認めざるを得ない以上、これを徒に休ませておく、というのは不合理である、という見解は、見捨てるわけにはいかない。