社員を雇うのは「非合理」?
かつて「会社を作る」は「社員を雇う」とほぼ同義だった。もちろん、個人の資産管理会社のような形態もあるだろうが、基本的に「会社を作る」というのは、雇用創出とセットだった。
しかし社員を雇えば、それだけで埋没(サンク)コストが発生する。これは、あくまで経営からすればかなり非合理である。
社員にしてみれば、「会社にいる限り、給料(生活)を保証してもらえる」状態で、その利得を最大化するという意味では「できるだけ長く社員でい続け、できるだけ働かない」ことが最適戦略になりうる。でも当然だが、会社にしてみれば、社員に払った給料以上にお金を稼いでくれないと困る。
つまり、社員は給料をもらうだけもらって働かないのが最適戦略で、会社は給料よりたくさん稼いでもらうよう社員をけしかけるのが最適戦略となり、この大いなる矛盾から雇用関係は出発することになる。
そもそもなぜ、これまでのような経営の仕方が成りたってきたのか?
株式会社という制度の始まりは、中世ヨーロッパの海運事業にあったと言われる。リスクのある「航海」をするための資金を調達する方法として、「株」を資産家に販売し、「航海」が成功した場合は利益を資本家に分配する、といった方法が確立された。
航海という命の危険を伴う状況では、船長の命令は絶対で、船員も逃げ場がないので働くしかなかった。サボっていれば食事にありつけない、懲罰房に入れられる、ということは当然、最悪、船が沈んで自らの命を失ってしまいかねない。
会社を意味する「カンパニー」という言葉自体「一緒にパンを食べる」ことに由来するとも言われるが、ともあれ、船の上では船長は絶対的存在で、その判断が船員の生存に関わるため、全員で最善の手を考えることが当然だった。
ところが、近代化して船長が社長になり、経営上の判断が生命に直接影響しないようになると、社長はできるだけ長い時間、社員を拘束して働かせるようになった。そのため今度は「過労で社員が死ぬ」という事態が発生し出したため、社員の権利と生命を守るために労働組合が結成され、会社と対抗するようになった。
ざっくりと言って、このせめぎ合いの結果、今のような会社のかたちが生まれている。ちなみに日本に株式会社という制度を普及させたのは渋沢栄一だそうだ。