1800年代、フランスの異性装事情
当時のフランス人女性の男装事情も気になる。
例えば1893(明治26)年5月5日付読売新聞に「男装の女子」とする記事が出ている。曰く、
仏国巴里府及び地方に於て、警察署長より男装を着くることを許されたる女十人あり。其〈その〉内には彫刻家あり、画工あり、粧飾家あり、印刷家あり、皆各々其業を執る。而〈しこう〉して此等の婦人は何れも男装を為し、或は鬚を結び付け、或は口髯を生〈はや〉し、一見殆んど男子と異るなし。又、或片田舎に於て、馬鈴薯〈じゃがいも〉を商う男子ありしが、大〈おおい〉に警察署長の愛する所となり、特に女装を着くることを許されたり。女子の男装、男子の女装共に是れ特典なり。国異なれば其俗亦〈そのぞくまた〉異なる。奇というべし。
1800年11月7日にフランスで発令された警察令「異性装に関する勅令」では、女性の男装は禁止、健康上の理由から特別な許可を得ることは可能とされたが、その場合でも半年ごとの更新が必要だった。例えば動物絵画の画家ローザ・ボヌールは食肉処理場などに行く必要があって申請していたという(『新しい女性の創造』)。また、作家ジョルジュ・サンドはパリでの一人暮らしを経済的にも物理的にも快適に過ごすために男装したが、彼女も申請したと言われている。この法律は女性が馬や自転車に乗るようになる1909年ごろには緩和されたが、廃止されたのはなんと2013年である。
日本では、1873(明治6)年に異性装を禁じる違式詿違条例があったものの1882(明治15)年施行の旧刑法には受け継がれていない。つまり、事実上解除となっており、モリノジョンヌ氏の令嬢が自国で男装をしていたのかどうかはわからないが、少なくともこの時期の日本ではお咎めなしである。
それにしても、フランスでは口髭まで「生やす」というから本格的である。口髭が必要な「健康上の理由」とはなんだろう。性別違和が男装の理由として事実上認められていたのだろうか。