明治から昭和初期にかけて新聞や雑誌に掲載された男装に関する記事を取り上げ、それぞれの事情や背景を想像する「断髪とパンツ」。
今回は変装としての男装についてみていこう。
縦から見ても横から見ても天晴〈あっぱれ〉の男前
記事は「新橋の小竹、島津公爵と間違えらる」、1896(明治29)年4月21日付読売新聞(旧かな旧漢字は新かな新漢字に直し、総ルビを間引き、句読点や「」を適宜付けた)。
新橋の老妓〈ろうぎ〉鈴木屋小竹、善諧善罵〈ぜんかいぜんま〉を以〈もっ〉て名を曲中に擅〈ほしい〉ままにし、奇行致らざるなし。或時〈あるとき〉は園田警視総監の前に演説して警八令〈けいはちれい〉の不当を訴え、或時は銀座の天狗大王を脅かして其荒胆〈そのあらぎも〉を挫〈ひし〉ぎ、自ら妓流〈ぎりゅう〉の統領〈とうりょう〉を以て居る。
四五日前、去る馴染の紳士より小金井の観桜に誘われ、無礼〈ぶれい〉御免〈ごめん〉趣向〈しゅこう〉随意〈ずいい〉との事に小竹も乗地〈のりじ〉になり、何か変りたる趣向して群集を驚かさんとさまざまに心を砕けるが、七偏八笑〈しちへんはっしょう〉[注1]の昔と違い、今は風俗の取締り厳しければ、思い切って飛離〈とびはな〉れし事もならず、さりとて尋常の道化にては小竹と云わるるほどのものが肝胆〈かんたん〉を砕きし趣向とは賞められまじ。
聞けば、女子の男装と男子の女装とは二つながら風俗を害するとて、違警罪の掟に制せらるるよし。一任〈まま〉よ、見顕〈みあらわ〉されたら百年目、心得違〈こころえちがい〉と諭されて逐戻〈おいもど〉さるるか、一円以下の科料〈かりょう〉がお灸の頂上なり。万一甘〈うま〉く安宅〈あたか〉の関を切抜けて首尾能〈よ〉く洋刀〈さあべる〉帯〈さ〉した富樫殿の目を偸〈ぬす〉み、万人群集の中を男でいと大手を振って歩きなば、今日の趣向、之〈これ〉に上越すものなかるべしと、大胆にも髪を束〈つか〉ねて大髻〈おおたぶさ〉の男髷凛々しく、其上へ黒の山高帽子を戴き、一楽の着物に五所紋〈髻いつどころもん〉の羽織、眉黛〈まゆずみ〉太く白粉の香を剥して成済〈なりす〉ましたる男姿を見れば、鼻高く口元締りて撫肩〈なでがた〉ながら丈〈せい〉高く、縦から見ても横から見ても天晴〈あっぱれ〉の男前。お客の紳士連を蹴落〈けおと〉してぞ見えける。
[注1]七偏八笑:江戸時代の戯作、滝亭鯉丈『花暦八笑人』と梅亭金鵞『妙竹林話七偏人』のこと。前者は、暇な八人が飛鳥山で花見客を驚かせようと仇討ちの振りをしていたら、本物の武士が来て助太刀されそうになって逃げる話で、古典落語「花見の仇討ち」にもなっている。後者も同じく暇な七人が茶番をしかける話。