男装の麗人、佐久間秀佳とは
さて、本稿で焦点を当てるべきは男装の麗人、佐久間秀佳である。
報道によれば、秀佳の本名はしな子、父は「無軌道な道楽者」で、愛妾に新橋の置屋を持たせていたところ、そこの養女の芸者とできてしまい、秀佳が生まれたという。だが父はすぐにほかの女性と家庭を持ち、母とは生別、というわけで極度の男性嫌いになった、とある。当時のスキャンダル報道に典型的な物語化である。その後、上野高等女学校を卒業、飛行士を目指して専門学校に行くも中退、チリ公使館でのタイピストを経て、世界文庫刊行会や雑誌『明るい家』の編集に携わったりしたのち、八重洲園に就職した。職場では常にタキシードという「ターキー張りの男装」で、三原山へ出奔した日の服装は真っ赤なジャケットに白いパンツ、「映画『ボレロ』の衣装の真似」と書かれた。
報道からしばらくして、秀佳による手記が3本発表された。「情死を決意するまで―お詫に代へて―」(『婦人画報』1934年8月号)には、マスコミの餌食となった気持ちが吐露されている。曰く「『彼女の父は酒乱であり、代々の名家が父一代で没落した! 祖母は花柳界の名技であった! かくて歪んだ暗い家庭に育った彼女は、遂に男性を呪って、女性を恋する様になった! そして段々と男の様な性格に変って来た! イヤ確聞する所によると彼女は、何よりも、生理的にも全くの男性に違いないのだ! 彼女は男の様に鳩胸で、乳房が無い位だ、全くソウダ、男に違いない! 現に井之頭でカルモチンを飲んだ高木千代子は妊娠していたんだゾ! その上、且つても彼女は数人の彼女等をしばしば妊娠させた証拠がある!! 男だ! 男だ!!』そして、いつかノートに書き捨てておいたありとあらゆる歌や落書までが私の遺書として発表された」。
秀佳の手記では、報道とは異なり比較的恵まれた家庭で育っており、女性に親しみを覚えてはいるが男性嫌いではなく、肉体的に女性であるというと主張している。また今回、千代香との関係が「『お姉様』関係以上に見られたのは一つは私の男装の為であったろうと思う」と書き、男装の理由は「頻繁な事務的な仕事をする為にはこの服装が一番好適であったから」としている。同じ時に雑誌『モダン日本』に載った「何故妾は二人の女に愛されたか」には、「妾は気の弱い方で、たよられると、やっぱりむごく突き放すことが可哀そうで、できない。妾が瀧さんと大島へ行く決心をしたのもそのためだ」とあり、「やった事は、今ふりかえって考えてみると、これは二十歳にもなった自分達としてみると、一寸おろかしい。あれは十五六歳のまだ夢みがちな少女の時代にする事なのだ」と反省している。3本目の手記「妾〈わたし〉は男ではない!! 三人同性愛心中ヒロインの手記」(『話』1934年9月号)には、もともと千代子に希死念慮があったこと、千代香はロマンティックな性質で死に憧れていたこと、自分には「可愛い少女を一寸からかってみる」という「悪い癖」があったことなどが書かれていた。
この騒動がちょっと特殊なのは、秀佳が男性ではないかと騒がれたことだ。6月14日付読売新聞「狂恋の蔭に怪奇」には、『明るい家』編集部時代に秀佳に妊娠させられたと思しき19歳の少女が周囲をうろついていたことなどを挙げて「果たして男? 女?」と書かれた。また、報知新聞などにも同様の記事が出たらしい。それに対して秀佳は「妾〈わたし〉は男ではない!!」と書いたわけである。