疎開のすすめ
この後、私たちはどうしたらいいのか。原発事故の被害規模はまだ拡がりつつあるし、制御対策がどう奏効しているのかも未確定である段階では言えることも限られている。この号が出るころには私のこの提言も無意味なものになっている可能性を含んで、原則的なことだけ申し上げる。
福島原発の周辺に住んでいる人は、できる限り現場を離れるべきだろう。すでに政府は自主避難の指示を出している。避難勧告地域はこの後さらに拡大し、首都圏に及ぶ可能性も否定できない。今少しでも不安を感じている人は、安全地帯に親類縁者があれば、そちらに「疎開」をしたほうがいいと私は思っている。
原発事故そのものへの技術的不安だけではなく、それ以上に原発事故をコントロールしなければならない人たちへの人間的不安のせいである。彼らの言う「私の言うことを信じてほしい」という言葉が私にはうまく信じられない。どれほど危機的な状況でも、「危機管理の責任者がほんとうのことを言っている」のか「彼自身、自分が言っている言葉を十分には信じられなくなっている」のかの区別くらいはつく。「重要な情報はすべて開示されている」のか「それを開示したらパニックが起きる情報だけは開示されていない」のかの区別くらいはできる。
まだ交通インフラが安定している段階で、「幼児、妊婦、老人、介護を要する人、春休み中の児童生徒学生たち」は被災していない地域に親類縁者を頼って「疎開」することを私は勧めた。現に、首都圏では計画停電が始まり、食糧や水の買い占めが行われている。心落ち着けて暮らせる環境ではない。政府が組織的な疎開を主導するだけの余力がない以上、個別的に行うしかないだろう。
ブログに私がそう書いた後に、「パニックを煽るような発言を慎め」という批判がネット上にずいぶんあった。だが、西行きの新幹線が「お盆のような混み方」というのがパニックに当たると私は思わない。
「疎開のすすめ」が嫌われたのは、それが首都の消費活動の冷え込みをもたらすと思われているからである。「東京から離れないでくれ」と懇請するのは「東京にいて、金を使ってくれ」ということである。理屈としてはわからないでもないが、放射性物質の拡散について懸念している人々を引き止める言葉があるとすれば「心配要らない。まったく安全であることを保証する」というものであって、「あなたたちに去られると、商売にならない」ということではないだろう。特に、今回の首都圏に拡がっている放射性物質への懸念の原因はもとをただせば「安全よりコストが優先」「命より金が大事」という思想が生み出したものなのである。この期に及んで、まだ「金が大事」ということが念頭を去らない人々に私はいささか暗然たる気持ちを抱く。
呪いの言葉を吐くつもりはないが、これから首都圏経済は長期にわたる停滞期に入ってゆくだろう。いま首都が直面している電力不足、水質汚染、経済活動の基礎資源の不足は一朝一夕に片づくものとは思われない。計画停電と水不足で外食産業がまず壊滅的な被害を受ける(冷蔵庫と換気扇とクーラーが使えないレストランを私たちは想像することができない)。紙不足は出版を直撃するであろうし、海外からの観光客の高額消費に依存してきた小売業やサービス業も、「原発汚染地」を忌避する外国人を呼び戻すまで長い忍耐の時間を過ごさなければならないだろう。その間に大阪をはじめとする諸都市に経済活動と首都機能のかなりの部分を移転せざるを得ない。おそらくその過程で国土の〇・六%の土地に人口の一〇%が集中する東京一極集中というシステムは終了するだろう。
復興プランの大枠についての私の考えを述べておく。
まず東北・北関東の被災地住民のうち、現地にとどまって地域再建に取り組む人々には国を挙げてその活動を支援する。西日本の大学や高校を三ヵ月程度臨時休校して、被災地への数十万人規模のボランティアを派遣するくらいの骨太な組織的支援を立案してもよいのではないか。
原発汚染地域を逃れて、「新しい街」に移住したいという人たちのためには、その受け入れの住居と就学就業機会を用意し、企業活動のための資金提供を行う。移住は個人単位だけではなく、自治体単位のものもあるだろうし、短期のものも長期にわたるものもあるだろう。そのさまざまな形態について、きめ細かい支援をする。
社会システムのリスクヘッジのためには、首都機能の分散は必須だろう。すでに外資系企業は本社機能を大阪に移しているところがあるが、この傾向はしばらくは止まるまい。「疎開」先には九州・沖縄まで名乗りを上げている。これに呼応して、それまで何の縁もなかった土地に移り住む人が何千人か何万人かこれから出てくるだろう。これによって日本は大きな「シャッフル」を経験することになる。
もう一つ、この「脱東京」の動きが意外にも崩壊寸前の日本の第一次産業の再編と再生のきっかけになるかもしれないと私は思っている。耕作放棄された農地は全国に拡がっている。原発事故で心ならずも耕作放棄を強いられた人々にこれを提供することは可能なはずである。非被災地でも限界集落はどこも若い働き手を求めている。首都圏のリタイア組の中にも、受け入れ態勢が整っていれば、「帰農」という選択肢に惹きつけられる人は少なくないはずである。
従来の経済システムにまるごと「復旧」しようとすれば、絶望的な気分になるかもしれないが、新しい経済システムを作り直す方向に頭を切り換えれば、決して絶望的になる必要はないと私は思っている。
最後に一つだけ具体的提言。今年の夏、計画停電するならクーラーは使用禁止とする。その代わり、窓を開けて、打ち水をする。そしてアロハと半ズボンとゴム草履での出勤を許可する。「そんなカジュアルな首都でなら働きたい」という若者たちがきっといる。
(了)
〔『中央公論』2011年5月号より〕