オックスフォードにおける面接試験の実態
苅谷 オックスフォードの学部入試は、それぞれのコースごとに行われるのですが、筆記試験ではなく口頭試問です。
橘木 面接試験ですね。
苅谷 面接(インタビュー)なんですが、受験生の知的能力やコミュニケーション能力を評価します。漠然と「人物」を見るといったものではない。
僕も東洋学部の日本学科の面接官を何年間か務めましたが、たとえばある年の試験では、日本地図で県ごとに何色かに色分けされているものを持っていって、「この色分けは何を表していると思う?」と聞くんです。受験生はその場でいろいろなことを想像して、自分なりに回答します。たとえば、人口を示しているとか、県民所得とか。もちろん正解を求めているのではありません。どれほど面白い発想ができるか、それをどう理由づけるかをこちらは見ている。その後、色分けは県別の出生率を表していると伝えて、その上で今度はそこから何が導き出せるかを問います。受験生の回答に応じてこちらからもさまざまなツッコミを入れる質問をして、その時々の受け答えで発揮される頭の回転の良さ─速さではなく─や論理的な思考力、言語能力、ユニークな発想や表現力、そして臆せずきっちり答えられるかを観察するのです。
橘木 イギリスには中等学校にも、グラマースクール(公立学校)とは別にパブリックスクール(私立学校)というエリート養成校がありますが、後者の出身者は、オックスブリッジの入試にやはり有利なんですか。
苅谷 有利です。一つは学力が高いこと、それから面接にも強い。パブリックスクールでの生活そのものが、面接試験の訓練をしているようなものですからね。頭の良さだけでなく、オーラルなコミュニケーション能力も高い。打てば響くような感じで、実際に面接ではすぐにわかります。最初は驚きました。そういう彼らですから、教授たちから見たら、自分が教えている学生のタイプによく似ているんです。すると、このタイプなら入学後のタフな教育にも耐えられるだろうとある種の確信が持てる。しかも成績も推薦状も申し分ない......となったら入れたいと思いますよね。
橘木 オックスフォードの先生もパブリックスクール出身者が多いわけですから、言ってみれば、それはもう社会階層の世代間連鎖ですね。
苅谷 そのとおりです。オックスブリッジでは、受験生のコミュニケーション能力は、社会階層とかなり相関しているのは確かです。
とはいえ、これはちょっと微妙な話ですが、気持ちとしては公立学校出身者、あるいはいろいろな意味でマイノリティ出身の学生を入れたいと、そう思っている。評価が同じときにはこういう学生を優先的に入れる。
橘木 なるほど。でもそういう人たちは面接に慣れていなかったりするのでしょう。
苅谷 はい、中には黙りこくってしまう人がいます。そういうときは、少し待ってあげるんです。すると、けっこう良い答えが返ってくる。そういうときは高く評価しようとなります。
――入試の採点において、ブレをなくして公平性を確保するためにどのような対応や工夫をされているのでしょうか。
苅谷 私の経験したオックスフォードの面接では、一人の学生を三人の先生が面接しました。それぞれがコメントと評点をつけて、その結果を持ち寄って、あとは合議で入学者を決めるのですが、最初の評点は三人とも自分の主観でつけます。
とはいえトップ二〇%とボトム三〇%くらいは、三人の間でほぼ一致します。評価が割れるのは中間の五〇%の人たち。ある先生は評価するけれど別の先生は評価しない場合、三人で議論するわけですが、当然それぞれの評価の調整が必要となります。しかし、そういった評価のプロセスに対して、日本的な意味での公平性や客観性が問題になることはありません。なぜかと言えば、評価する人に対する信頼があるからです。
日本では今回、共通テストの記述式問題の採点の公平性が議論になりましたが、ちょっと考えていただきたいのは、東京大学でも京都大学でも二次試験では記述式問題があります。東大では国語や社会や英語の問題は、共通テストの八〇~一二〇字どころではなく何百字も書かせる。でも、今まで採点の公平性が問題になったことは一度もないですよね。これも、国公立や一部の私立のいわゆるエリート的な機関に対しては、試験の評価をする人に対する信頼があるからではないでしょうか。採点の公平性の問題が取り沙汰されるということはそこが揺らいでいるということです。
橘木 日本では、入学試験というのは公平でなければならない、という通念が非常に強いと思います。イギリスやアメリカは個性を重視する社会なので、いろいろな学生がいて良いというコンセンサスがある。