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櫛原克哉 繁茂するメンタルクリニック――診断の普及で救われる人、救われない人

櫛原克哉(東京通信大学講師)

抗うつ薬の時代と自己をめぐる問題

 ソフト・ハードの両面から精神疾患・障害が身近になったことは、それらの病と向き合う人間の自己のありようにも変化をもたらした。


 精神疾患・障害の主要な治療法の一つである薬物療法が広く行われるようになると、世界各地でさまざまな反応がみられた。特に当時の新世代抗うつ薬の一種であるプロザックは、1990年代の米国で性格や人格を明るくポジティブなものに変容させる「魔法の薬」として流通し、プロザック・ブームと呼ばれる社会現象を引き起こした。


 ただ、うつ病に苦しむ患者にとって薬には別様の意味があった。ほぼ同時代の米国で、うつ病の患者にインタビューした社会学者のデイビッド・カープは、精神状態に作用する抗うつ薬の服用によって、自己やアイデンティティが変わっていくことに戸惑い、憂える人々の心性を描いた。一方でしばらくすると、薬に「依存」する脆弱な自己は、徐々に克服が試みられる対象になっていく。そのため患者たちは脳や薬理作用に関する知識を習得し、薬効を受ける自己から薬を使いこなす自己へと立ち位置を変化させたのだ。


 このように自らの精神状態を脳神経化学の観点から捉え、薬で適宜調整していく自己を、英国の社会学者ニコラス・ローズは「神経化学的自己」と呼んだ。カナダやオーストラリア等の研究でも、カープの研究と共通した知見が示されている。

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