「根本」の治癒を求める日本人
海外の議論を受けて日本の現状を知りたいと思い、筆者は2010年代の日本で、精神科の通院経験がある人々を対象にインタビューを行うことにした。この時期には精神科診療所が身近な存在になったこともあり、通院にほぼ抵抗感がなかったという人や、自己診断をしたうえで来院したという人もみられた一方で、依然として受診をためらった人や、家族の反応を危惧した人もいた。
そして神経化学的自己に関しては、全体を通じてこれに近い形で自身や服薬経験を捉える人はほぼ確認できなかった。神経伝達物質のセロトニンの働きなど、神経化学的な知識がある程度普及している様子もみられたが、日本の患者は「知識」として把握しているものの、「実感」してはいないといった形で、一定の距離が設けられているようだった。
かわりに顕著にみられたのは、薬のみでは治癒しないとされるものへの言及であり、これは対症療法で改善する「表層」と対比される「根本」にあるものとしてイメージされる傾向にあった。根本的なものには、当人の人格や性格特性のような変化しにくいとされるものや、幼少期の親子関係や過去のショッキングな出来事の影響の残存などが含まれる。当然、彼らもDSMの診断カテゴリーを用いながら、これとは別に、なぜこころの病を患ったのか、治癒や変化のために何が必要かということについても語っていた。
この背景には、流行語のような形で普及したトラウマや毒親(子どもに悪影響を及ぼす親)など、過去や養育環境に目を向けさせる言葉や説明の影響も一部にあったと考えられる。それだけでなく、患者に何か根本から治したいという願望や、表層のみへの対処では不十分であるといった意識もあり、それが言語化されていたものと考えられる。
(続きは『中央公論』2023年5月号で)
櫛原克哉(東京通信大学講師)
〔くしはらかつや〕
1988年千葉県生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科社会文化研究専攻博士課程修了。博士(社会学)。専門は医療社会学。専門社会調査士。日本学術振興会特別研究員(DC2)を経て現職。著書に『メンタルクリニックの社会学』がある。
1988年千葉県生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科社会文化研究専攻博士課程修了。博士(社会学)。専門は医療社会学。専門社会調査士。日本学術振興会特別研究員(DC2)を経て現職。著書に『メンタルクリニックの社会学』がある。