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新連載 大学と権力──日本大学暗黒史

森功(ノンフィクション作家)

私学と政治の結びつき

戦中から戦後にかけ、日大は教学のトップである学長と理事会を束ねる理事長の上に「会頭」という肩書を置いていた。他大学には総長ポストがあるが、会頭はそれよりさらに格上のポストと目される。古田は戦後、日大を飛躍的に大きくしてきた。日本の私学全体を率いてきた人物だと言い換えてもいい。それゆえ日大会頭として絶大な力を誇り、盟友の佐藤栄作を総裁に迎え、日本会の旗を挙げたのである。

日本会の名簿には総裁の佐藤のほか、佐藤の実兄であり、1960年の安保闘争の混乱で首相の座を降りた岸信介の名もある。昨今、岸は世界基督教統一神霊協会(旧統一教会)が結成した反共政治団体「国際勝共連合」の思想に感銘し、関係を深めていったと報じられてきた。日本会の名簿には、岸の隣に厚生大臣や文部大臣を務めてきた自民党の灘尾弘吉の名も連なる。灘尾は戦前、内務省に入り、保健行政部門である衛生局調査課に配属された内務官僚だ。内務省は一部が厚生省に分割され、灘尾は内務・厚生官僚として戦中を過ごして終戦を迎えた。やはり日本会には保守色の濃い国会議員たちが集まっていた。根田が振り返る。

「なぜか私には岸信介の名前の記憶がありませんが、佐藤栄作さんとか、灘尾弘吉さんといった政治家たちと古田先生の結びつきは印象にあります。灘尾さんは戦後に文部大臣にもなりましたから、古田先生が私学助成などの制度づくりを働きかけるとき、非常に影響力があったのだと思います。私学と政治の結びつきは深かった。保守政治家たちはその頃と時を同じくし、統一教会なども利用していました。彼らにとっては、私学も似たようなイメージだったのかもしれません」

田中英壽の原点

60年代後半の日大紛争では、全共闘を中心とする左翼学生が絶対権力者である会頭の古田を追及した。学生たちは、古田の後ろ盾となっている日本会の保守政治家やそこに連なる右翼組織を意識せざるを得なかった。と同時に、古田の率いる大学執行部は運動部の学生を動員し、ゲバ棒に立ち向かわせた。応援団、空手部、柔道部、相撲部の屈強な部員たちだ。そして伝統ある日大相撲部の田中英壽は、そこに駆り出された一人だった。のちに日本一のマンモス大学理事長として無類の権勢を誇った田中の原点がここにある。

古田体制は日大闘争によって倒れた。詳しくは稿を改めるが、その40年後に生まれたのが田中体制である。

田中はある意味、戦後、古田が築き上げた日大の巨大な体制を継いだにすぎない。田中帝国と呼ばれた日大には、政官業の利権が渦巻き、相撲やアメリカンフットボールを中心にした運動部関係者が幅を利かせ、田中は理事長の座を盤石にする。

日大にはやがて得体の知れない取引業者や暴力団関係者が出入りするようになり、大学そのものを食い物にしていく。

〈元理事及び前理事長による不正事案に係る調査報告書〉

そう題された2022年3月31日付のレポートが、事件後に改められた日大執行部に提出された。委員に3人の弁護士、補助者として14人の弁護士と3人の公認会計士で構成された第三者委員会による事件の調査レポートだ。226ページにわたる分厚い報告書の「第1章 当委員会及び本調査の概要」にある「3 第1~第3事件の発生及び日大による調査」には、東京地検が摘発した日大の3つの刑事事件内容が書いてある。大雑把に第1から第3までの事件の流れをつかみやすいので、抜粋する。

〈令和3年9月8日、日大その他関係先に東京地検特捜部による捜索差押がなされ、同年10月7日、井ノ口氏が第1事件(板橋病院建替えの設計・監理業者の選定に係る背任事件。「第2章」「第1 第1事件の事実関係」参照。)の嫌疑で逮捕された。その後、同月27日、井ノ口忠男氏(以下「井ノ口氏」という。)は同事件で起訴されるとともに、第2事件(医療機器等の調達に係る背任事件。「第2章」「第2 第2事件の事実関係」参照。)の嫌疑で逮捕され、令和3年1116日、同事件で起訴された。さらに、田中英壽氏(以下「田中氏」という。)が、令和3年1129日、第3事件(所得税法違反事件。「第2章」「第3 第3事件の事実関係参照。」の嫌疑で逮捕され、同年1220日に同事件で起訴された。)

地検特捜部は2021年9月の家宅捜索から年末の12月までのおよそ3か月間で、立て続けに3つの事件を摘発した。長らく燻ってきた日大田中帝国の暗部にようやく司直のメスが入った瞬間である。うち田中が罪に問われたのは所得税法違反の第3事件のみにすぎない。

アメフトの有名選手であり田中の右腕として日大の出入り業者を取り仕切ってきた理事の井ノ口は、第1事件で大阪府の医療法人「錦秀会」理事長だった籔本雅巳と共謀し、日大医学部附属板橋病院の建替えに支払った244000万円のうち、必要のない2億2000万円のリベートを籔本側に渡し、日大に損害を与えたとする。また第2事件では、X線CT診断装置や電子カルテシステムの導入にあたり、籔本らと謀って水増し請求などで合計1億9800万円の損害を日大に与えたという。2つの事件ともに田中の影がチラつくのだが起訴はされずじまい。田中は籔本らから受け取った1億1820万円を税務申告せず、5233万円を脱税したとして逮捕、起訴されただけだ。

田中自身、22年2月15日、東京地裁で開かれた初公判では「争う気はありません」とあっさり罪を認め、そのまま判決が下っている。日大の抱える闇はおろか、事件にまつわる出来事にも多くの謎を残し、捜査は幕を閉じた。

田中英壽理事長体制の下、噴き出した一連の事件には、日大にとどまらず、長らく日本の私立大学が抱えてきた共通の病が潜んでいるようにも感じる。

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