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東畑開人×大木亜希子 ゆるいつながりという処方箋

東畑開人(臨床心理士)×大木亜希子(小説家)

「置き場」としての文学

大木 自分の恥ずかしいことを人に話せるかどうかも大事だと思います。私が小説家になったきっかけも2019年、SNSで「婚活失敗しました」「頑張って仕事したけどうまくいきません」という内容のエッセイを書いたらバズり、Twitterのトレンドランキングで上位になったことでした。それまでSNSのトレンドといえば、キラキラした映(ば)える生活でしたが、潮目が変わり始めていたのだと思います。私の友達でも、孤独で脆弱、人づきあいの仕方がわからずに突っ込み、傷ついて戻ってくる子がたくさんいて。コンプレックスを言い合える関係って大事ですよね。

 

東畑 こじれた恋愛話は、誰かに「おかしいよ」と言ってもらえると健康度は上がりますね。その一方で、誰にも言えない話はやっぱりあるとも思うんですよ。

 

大木 ありますね。

 

東畑 最近、人に言えない秘密を抱えていることこそ、人間の人間たる所以なのではないかと思い始めていて。社交を通じて立ち直ることもあるけれど、社交の場では話せないし、シェアもできないような、どうしようもない自分もやっぱり存在するわけで。

 心理療法の場で語られることって、社会の中に置き場のないようなことなんです。でも、そこにはその人なりの物語があり、必然性がある。きわめて個人的なものの価値を扱うのが心理療法です。で、そうしたものの置き場所がないことが、現代社会のつらいところではないかと。大木さんの経験されたようなことも、小説なら置き場があるけれど、普通に話すとニュアンスが変わってしまうでしょう?

 

大木 内容によっては生々しくて、なかなか人に話せないこともあるかもしれませんね。

 

東畑 そうそう。それは心にとって危機になりえる。結構、人は人に言えない惨めなものを抱えながら生きているものです。社交の場にも出せず、シェアもできないようなものに自分の中でどう決着をつけていくのか。それが今、すごく難しい。

 

大木 わかります。本の出版後、ときどき「傷つく恋愛をして失敗し、亜希子さんの本を読んで救われたのですが、どうしていいかわからず、孤独です」というメッセージが来るようになり、どうにかしてあげたいと思うものの、返事に困っているんです。そういうとき男性ならスナックに行ったりするのでしょうが、女性はどうしたらいいのか。設定を変えて自分の経験を小説やエッセイに書いてみたら、と伝えているのですが。

 

東畑 文学はいいと思います。物語にすることによる癒やしってあるので。

 

大木 ありますよね!

 

東畑 文学は善と悪ではないところ、余白にありますからね。その意味ではカウンセリングもかなり文学的な場所です。カウンセリングでは本当にいっぱい喋るんですよ。多い場合は週2回、45年繰り返し会ってありとあらゆることを喋る。そのうちに、その人の背景にある物語が本人にも治療者の僕にも見えてくる。これは生きていく上で大きな力になります。どうしようもないものの置き場ができるというか。物語化することで問題を矮小化していると批判されることもありますが、自分の人生を文学的に捉えることには価値があると僕は思っています。

 ただ、現代ではそうした「文学の場所」が失われています。30年前は総合誌でも文学的な余白があった気がしますが、今では文芸誌とそれ以外がはっきり断絶している。

 

大木 文学は落とし所になるし、知っている人は幸せだと思います。物語ることって、誰にでもできるんですよね。私は18年に茅場町駅に向かう途中で歩けなくなり、まさに這うようにしてカウンセリングに通い始めたのですが、毎回の診察をスマホで録音していて、聞き直すうちに、自分の経験の文学性に気づくようになったんです。

 

東畑 へえー!

 

大木 自分の声は嫌いだし思い出したくもない話をしているはずなのですが、立ち直ったあと再度聞いたら、これは一人の女の子が再生していく話だな、と。今でもエッセイを書くとき、当時の自分に立ち返るため、音源を再生することがあります。私自身がそうだったように、どんな人にも語るべき物語があることを知ってほしいです。

 

東畑 おっしゃる通りです。他人に話すとき、僕らは小さな文学をしているのだと思います。伝えたい、わかってもらいたいと話すところに物語が生まれ、比喩やプロットが発生してくる。カウンセリングは愚痴を一方的に発散する場だと思われがちですが、実は喋った内容を自ら振り返るような構造になっているのが重要です。喋りながら、なぜつらかったんだろうと振り返る。それを話し合う。それこそが物語っているということなのかなと。

 

大木 私の診察には、脱線した回や建前だけで終わった回もあったのですが、常にゴールに一直線に向かっている必要はなくて、話す行為自体に意味があったと感じます。

 

東畑 心の問題が解決するときは、すべてわかってもらってハッピーという形ではないことのほうが多いですからね。どこかで「やっぱりわかってくれないんだ」と諦めがつくことが健康的な体験になることもあります。

 

 (続きは『中央公論』2023年8月号で)

 

 構成:高松夕佳 撮影:中島正晶

中央公論 2023年8月号
電子版
オンライン書店
東畑開人(臨床心理士)×大木亜希子(小説家)
◆東畑開人〔とうはたかいと〕
1983年東京都生まれ。京都大学大学院教育学研究科博士後期課程修了。博士(教育学)。専門は臨床心理学。白金高輪カウンセリングルーム(https://stc-room.jp/)主宰。著書に『心はどこへ消えた?』『なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない』、監訳書に『認知行動療法の哲学』など。

◆大木亜希子〔おおきあきこ〕
1989年千葉県生まれ。アイドルグループSDN48の元メンバー。著書に『アイドル、やめました。』『人生に詰んだ元アイドルは、赤の他人のおっさんと住む選択をした』(映画化、今秋公開予定)、『シナプス』がある。小説「マイ・ディア・キッチン」を『別冊文藝春秋』にて連載中。
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