陰謀論の引き金は「不遇感」
人はどんなときに「アイロニカルな没入」に陥ってしまうのか。それは受け入れがたい不遇感を抱えていて、その原因がわからないときです。不幸には偶然によるものもあるし、因果関係はしばしば非常に複雑です。それでも、自分にあって然るべき幸福がない、不当に不幸だと感じたとき、人はどこかに原因を見出し、安心感を得ようとするのです。
こうして、人々の多様な不遇感を一手に引き受けるような「記号」が生まれていきます。ユダヤ人や在日朝鮮人、最近では新型コロナウイルスのワクチンが典型例です。「大金持ちのユダヤ人が我々の富を奪っている」、あるいは「不潔なユダヤ人が街の治安を悪化させている」。両極端の、ユダヤ人の本質とは無関係のデマで、すべてのネガティブな原因が「ユダヤ人」という記号に投影され、ホロコーストは起きました。
ここで重要なのは、当時のドイツがさまざまな意味でうまくいっていない理由は、ユダヤ人とは何の関係もないことです。自分の不幸の原因がわからず嘆く人は、自分から幸福を奪っている「X」を見出そうとしますが、見出されたXは不幸の要因ではない。「共産主義のソ連がユダヤ人によって操られている」などといったあり得ない論理でユダヤ人に投影することで、ドイツの人々は不遇感を解消し、精神的な安定を得ていたわけです。
「コロナワクチンによって人口抑制がなされている」というデマを流す人も、ワクチンによって直接被害を受けたわけではありません。デマを信じて吹聴する人に「いや、コロナワクチンの仕組みはこうで、ファイザー社はちゃんとした会社だ」といくら説明しても埒が明かないのはそのためです。アイロニカルな没入と同様に、本人さえわかっていない、無意識のフラストレーションを、陰謀論を使って処理しようとしているのですから。
(中略)
では陰謀論を支持する人にどう対処すればいいのか。正しい情報に基づく反証材料を提示すればいいと思うかもしれませんが、効果はなく、むしろ逆効果にさえなります。
ユダヤ人指導者による世界征服の企みが記された書として流布され、反ユダヤ主義の根拠になった「シオンの議定書(プロトコル)」という偽書があります。明らかに非合理的で捏造なのですが、信じる人に反証材料を提示しても、「だからこれは本物なんですよ。あなたの提示したものこそ、これを偽物だと思わせようとする勢力の存在を証明しているじゃないですか」と、逆手に取って証明の根拠にしてきます。シドニー・パウエルが「誰でも信じるような話じゃないからこそ正しい」と言ったのと同じです。極端な非合理性、荒唐無稽さが彼らの信心を強化してしまうのです。
(続きは『中央公論』2023年12月号で)
構成:髙松夕佳
1958年長野県生まれ。東京大学文学部卒業。同大学大学院社会学研究科博士課程単位取得満期退学。社会学博士。千葉大学文学部助教授、京都大学大学院人間・環境学研究科教授を歴任。著書に『ナショナリズムの由来』(毎日出版文化賞)、『ふしぎなキリスト教』(共著、新書大賞2012)、『自由という牢獄』(河合隼雄学芸賞)などがある。