取材網を広げる
宇治氏に何度か取材をさせてもらって、これは面白いものが書けそうだと思ったが、一人の話だけでは迫力が出ないので、「他に面白い人、誰かいませんかね?」と訊くと、「素晴らしいのがいる」と紹介されたのが、小林健一氏だった。研究者である小林氏からは、営業職とは違う、ペルーやナイジェリアでの商品開発の面白い経験をたくさん聴くことができた。
その後、派生的に取材網が広がり、中国市場を開拓した西村昭司氏、インドで営業をやった濵野勝男氏、ナイジェリアでビジネスを立て直した小川智氏、WASCOの社長として市場開拓を推し進めた仁木純一氏など、数多くの人たちから話を聴いた。
ナイジェリア取材の直後、全世界でコロナ禍が始まり、わたしが住む英国は長期間にわたるロックダウンを余儀なくされた。しかし、幸いなことにZoomやメールといった国境を超える通信手段が使えた。また取材相手が味の素という一流企業のベテラン社員たちだったので、何か質問をすると痒い所に手が届くような的確で詳細な答えが返ってくるので、本当にやりやすかった。
ホテルの部屋でその日の売り上げを締めるペルー味の素社の営業マンたち(写真提供:小林健一氏)
『地球行商人』を書き終えて思うのは、お世辞抜きの、味の素という企業の凄さである。うま味調味料を一袋一袋、地を這うように売り、味を根付かせるという世界に類のないスタイルを貫き、かつそれを日本人幹部の監督なしで、現地社員だけでできる体制を構築している。こうしている今も、アンデスの山中やナイジェリアの奥地やベトナム各地で、現地社員たちが商店を一軒一軒回っているのである。今やベトナムでは、現地の営業スタッフだけで千人を超えているそうで、彼らが一堂に会した会議の写真は壮観である。
またナイジェリアでは、日本人社員たちが、地元の民族衣装に身を包み、商品にお墨付きをもらうため、各地の王族を訪問したりしており、もはや商社マンでもやらないことを真剣にやっている。
わたしにとっては、深田祐介氏が描いた世界を目の当たりにするような感動を覚えながら、取材と執筆に明け暮れた五年間だった。
(『中央公論』2024年1月号より)
1957年北海道生まれ。早稲田大学法学部卒業。カイロ・アメリカン大学大学院修士。都市銀行、証券会社、総合商社勤務を経て作家に。主な作品に『巨大投資銀行』『鉄のあけぼの』などがある。ロンドン在住。