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連載 大学と権力──日本大学暗黒史 第5回

森功(ノンフィクション作家)
写真提供:photo AC
不正経理の発覚から火がついた日本大学の民主化闘争は、1968年9月30日の大衆団交で全共闘側の要求を飲んだ古田重二良会頭らが退陣を表明し、学生側の勝利に終わったかに見えた。ところが、大学当局は政治権力のバックアップを得て息を吹き返す。機動隊によるバリケード解除、鉄板と有刺鉄線に囲まれたキャンパス構内、応援団・体育会系学生を動員しての監視・検問──。「日大アウシュビッツ」とも称された強固な支配体制が築かれることになる。

「警備員に制圧された学園」

〈使途不明金問題に端を発した日大闘争は、昨年9月30日、2万5000人を収容した両国の日大講堂で、古田(重二良)会頭以下の出席理事が退陣の意を表明するとともに、学生自治活動に対する一切の弾圧をやめ、検閲制度の撤廃、思想、集会、表現の自由を承認した〉(カッコ内は筆者注。以下同)

『アサヒグラフ』(1969〔昭和44〕年1128日号)は〈1年半後の日大闘争その2 異常の中の正常化〉と題した特集記事でこう書く。日大紛争に関する連載記事だ。サブタイトルには〈警備員に制圧された学園・農獣医学部〉とある。

記事の前年にあたる68年1月、日本大学の不正経理発覚から火のついた左翼学生たちによる大学改革運動は、日大全共闘の要求を飲んで会頭の古田をはじめ理事の多くが退任することになり、いったん学生側の勝利に終わったかに見えた。だが、ことはそれで収まらない。

〈その(日大全共闘の)勝利は一日限りのものだった。翌10月1日に佐藤首相が「日大の大衆団交は人民裁判だから認められない」と発言。これから以後、国家権力は日大闘争に力でもって積極的に介入しはじめる〉

佐藤がときの首相だった佐藤栄作を指すのは繰り返すまでもない。佐藤は日大の古田が結成した右翼・保守団体「日本会」の会長を務め、大学本部をバックアップしてきた。記事はこう続く。

(日大)理事会はこれに力を得て、約束した第二次団交を拒否して姿を隠す。日大全共闘秋田明大議長に逮捕状が出る。全共闘は一挙に守勢に立たされた。機動隊によるバリケードの解除、体育会系学生の"決起"、大学当局の手によるロックアウト、授業再開、正常化......〉 

大学本部の執行部は東京・世田谷下馬にある農獣医学部のキャンパスを高さ3メートルの鉄板の壁で囲った。それをアサヒグラフが〈異常の中の正常化〉と報じたのである。

北、南、西のつある門のうち、北門と西門を講義を受ける学生たちの入り口に指定し、大学本部に雇われた警備員がそこに検問所をもうけて出入りをチェックする。教職員たちは南門のくぐり戸から出入りした。農獣医学部のキャンパスはまさに要塞と化し、応援団や柔道部、相撲部の猛者が左翼学生たちの動きを監視し、ときに暴力を振るった。

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