コロナ禍前後の変化
教育格差の長期的趨勢、未就学から高校までの各教育段階における実態、国際比較、政策論などをまとめた拙著『教育格差』(ちくま新書)が刊行されたのは2019年7月だ。読者、書評、中央公論新社主催の新書大賞2020の3位受賞などのおかげで17刷、電子版と合わせて7万2000部となった。
売れ行きの後押しを受けて政治、行政、メディアと対話する機会が増え、「教育格差は社会の根本的な在り方を問う課題だ」という基礎的な理解の広がりを感じていた矢先、「全国一斉休校」があった。以降、メディアからの質問の大半は「過去の現象より、コロナ禍による影響」一色となった。
教育社会学者も実態を捉えるために動いた。苅谷剛彦教授(オックスフォード大学)の呼びかけで中村高康教授(東京大学)を中心とした私を含む研究チームが編成され、文部科学省の委託調査を複数時点で実施した。
中央教育審議会などでの発表をまとめると、パンデミックの影響は一様ではなく、社会経済的に困難を抱えている児童生徒、親、学校、自治体がより不利な状態に置かれたことがわかった。たとえば、コロナ禍で経済状態悪化を経験した子育て世帯は、両親非大卒層やシングルマザー家庭に大きく偏っていた。一方で、ホワイトカラー職に就く父親が多い両親大卒層からの経済状態悪化報告率は低かった。休校中の家庭での過ごし方についても親学歴による差が見られた。両親大卒家庭では子どもが学習を継続するように働きかけたりオンライン学習の準備を手助けしたりといった積極的な子育てを行う傾向があった。
これらの結果を踏まえて、「コロナ禍で学校教育が不安定化し家庭の役割が大きくなった結果、SESによる学力などの結果の格差が実際に拡大したのか」という基礎的な問いに回答するために二つの研究を行った。米国のように定期的に同じ個人と学校を追跡するパネルデータを収集している社会であれば、各SES層の児童生徒と学校の学力がどの程度変容したのかについて推計ができるのだが、日本には同じ分析を可能にするデータはない。そこで、全国の小学校6年生と中学校3年生を対象とする文科省「全国学力・学習状況調査」を用いて学校単位のパネルデータを自分で構築し、コロナ禍前からの変化の把握を試みた。
年内に刊行される研究書の拙稿の一部を表1にまとめた。学校SES層別に平均50・標準偏差10のいわゆる学力偏差値の学校平均を示している。各年度のテストの難易度が異なるので、国語と算数/数学の正答率の学校平均を各時点で偏差値化してある。学校の相対的な学力を出すために小規模校は除外されているが、全国の大半の学校を3時点で追跡できている。2019年はパンデミック前、20年は調査が中止されたのでデータはなく、21年はコロナ禍になってから約1年時点、22年は約2年後に実施された調査に基づく。
学校SESは児童生徒回答の家庭の蔵書数を学校平均化した上で層別に分類した粗い指標だが、それでもSESによる学校間学力格差を確認できる。19年時点で学校SES上下位それぞれ20%の学力偏差値の差は小学6年で11.3、中学3年は13.6だった。上下位10%で比較すると小学6年は15.0、中学3年で18.2である。調査対象には国私立校も含まれるが、小学校は約98%の児童が公立に通っているので、大半は公立校間のSES格差といえる。中学校はSESと学力が高い私立校の多くは調査非参加なので、実際のSES格差は表1の数値よりも大きいはずだ。このコロナ禍前の時点で存在したSESによる学校間学力格差は、小中学校の両学年で19年から21年にかけて拡大した。上下位10%の比較だと偏差値で小学6年は2.7、中学3年は2.3の拡大である。ただ、コロナ禍中である21年から22年については、小学6年は差が拡大したが、中学3年は同じ程度の差で平行推移している。小学4年と5年の2年間をパンデミックに曝され、22年に6年となった学年において最も影響が出ていると解釈できる。
拙稿では学力以外についても検討した。学習時間、ICT(情報通信技術)活用、文科省が推進する「主体的・対話的で深い学び」実践についても、学校SESによる格差がコロナ禍前と比べると拡大傾向にあった。ただ、学力を含む全指標のSES格差拡大の程度は、コロナ禍前時点で存在する格差と比べると概して相対的に小さい。
もう一つの研究では、「OECD(経済協力開発機構)生徒の学習到達度調査」(PISA)の18年と22年の個票データを合併して分析した。前述の学校パネルデータ研究とは違い、同一の生徒を追跡したデータではないが、日本では義務教育を終えて約3ヵ月時点の全国の高校1年生を対象とした抽出調査なので、パンデミック未経験の高校1年生とコロナ禍中に中学2年と3年を過ごした高校1年生を比較できる。
結果をまとめると、SES上下位25%層間の学力格差は、コロナ禍前の18年と比べて22年において数学は拡大、読解力と科学は僅かに拡大していた。また、SES下位25%層と比べて上位25%層は18年よりも22年において生活満足度が高まり、いじめ被害報告も減ったが、いずれも変化の程度は小さい。
表2は検討した指標の中で最も格差の拡大が顕著だった数学の結果の一部だ。親の職業・学歴や家庭の蔵書数などで構成される生徒SESを各時点で4層に分類し、18年と22年の習熟度レベル別の生徒割合を示した。日本全体の平均学力は2時点間で変化はないのだが、SES上位25%層は他SES層と比べて元々小さかった低学力者割合が減少し、大きかった高学力者割合が増加した。SES上位層の学力が向上する形でのSES格差拡大を意味する。ただ、学校パネルデータ研究と同じく、コロナ禍前の時点のSES格差が大きいので拡大幅は限定的といえる。読解力と科学も拡大していたが、その程度はかなり小さい。
二つの研究を総括すると、コロナ禍は人類史に刻まれる未曽有の事態だったが、日本の教育格差に劇的な変化をもたらしたわけではない。政治、行政、メディアを含め「変化」に焦点を置いた議論が散見されるが、客観的な全国を対象としたデータで確認できるのは、元から存在する教育の不平等がコロナ禍を経て僅かに拡大した姿である。「変化」ばかりに着目すると、まるでコロナ禍前から一貫して存在してきたSES格差が政策課題に値しないかのような扱いになり得る。拡大分も重要だが、以前から存在するSES格差を改めて政策課題として俎上に載せるべきではないだろうか。
(続きは『中央公論』2024年10月号で)
ハワイ州立大学マノア校教育学部博士課程教育政策学専攻修了。博士(教育学)。早稲田大学准教授などを経て、2022年度より現職。早稲田大学リサーチアワード「国際研究発信力」(20年度)などを受賞。著書に『教育格差』など。近刊に共編著『現場で使える教育社会学』『東大生、教育格差を学ぶ』。