地震は予知できず、どこでも起きる
私たちが阪神・淡路大震災で得た最大の教訓は、「地震は予知できず、どこででも起きる」ということです。1995年当時、市民の多くは「神戸で地震は起きない」と信じ切っていました。私の母も、高校卒業後に東京に行った私に「そんな地震だらけのところにいつまでおるんや。神戸は地震、起きひんで」とよく言っていました。私自身、子どもの頃に地震を経験した記憶はありません。
神戸の災害といえば、土砂崩れ、中小河川の氾濫、そして台風での高潮。神戸市だけで600人以上が亡くなった1938年の「阪神大水害」、100人近くが亡くなった67年の「昭和42年水害」がまず挙げられます。もちろん、神戸市の地域防災計画には地震の項目もありましたし、限られた神戸市職員が「神戸で直下型地震が起きる」と準備していたとの記録は残っていますが、役所内で共有されることはなかった。つまり市民にとって、まさに突然の大災害、未曾有の危機だったのです。
神戸市民が「神戸では地震が起きない」と信じてしまった責任の一端は、1978年に「大規模地震対策特別措置法」を制定した国にもあると私は考えています。
これは、大規模地震発生後、気象庁長官が地震予知情報を出すと、内閣総理大臣が警戒宣言を発表、それに基づいて高速道路や新幹線などを止める、避難を開始するなど、国家レベルのオペレーションについて記した法律ですが、想定発生災害が、駿河湾沖での東海地震になっているのです。これによって国民は、「地震は予知できる」「起きるとすれば、駿河湾沖を震源とする東海地震である」という二つの幻想を抱いてしまったと思います。
しかし78年以降、実際に起きた巨大地震は阪神・淡路大震災であり、東日本大震災、熊本地震、能登半島地震などだったわけです。もちろん、高確率で発生が予測されている南海トラフ大地震や首都直下型地震には備える必要がありますし、地震学者ら専門家の知見には敬意を払うべきです。
しかしそれでも、地震は予知できないし、どこでどんな災害が起きるかはわからない。そのことを認識する必要がある。先入観に囚われるなかで想定外のことが起き、無我夢中で目の前の危機に必死に立ち向かわなければならなかった私たち神戸市民の教訓を、ぜひ全国で生かしていただきたいです。
(『中央公論』2月号では、財政再建団体転落の危機、震災の教訓を生かしたまちづくり、震災の記憶の継承などについて、さらに詳しいお話をお聞きしている。)
構成:髙松夕佳 撮影:霜越春樹
1954年神戸市生まれ。東京大学法学部卒業。旧自治省入省。内閣官房内閣審議官、総務省選挙部長、自治行政局長、神戸市副市長などを経て、2013年11月より現職、現在3期目。著書に『ネット時代の地方自治』『持続可能な大都市経営──神戸市の挑戦』(共著)など。