刑事訴訟の非対称性
このような刑事訴訟の構造は、その本質的な性格にも影響を与えている。刑事訴訟を舞台とした「逆転裁判」というゲームソフトがあり、筆者自身はプレイしたことがないのだが、主人公の弁護士があらかじめさまざまな調査を行なって事件に関する情報を収集したうえで、それらを活用して法廷における検察官の主張を覆し(「異議あり!」)、被疑者に対する無罪判決を得ることを目的にしたものらしい。おそらくこのゲームの内容を知った弁護士、特に刑事事件に関与してきた弁護士の感想は、そんなことができたらいいのになあ、というものだろう。
現実の話をしよう。刑事訴訟において、いわば攻撃側として訴訟活動を行なう検察官と事前の捜査を行なう警察は国や地方自治体の機関であり、給与によって生計を保障されている。彼らは生活の心配をすることなく訴訟や捜査に当たることができるし、そのために必要な費用も予算として政府から措置されている。また彼らには強制的な捜査権限があり、被疑者の逮捕・取調べや証拠の押収もできる。
これに対して、いわば防御側である弁護士はどうだろうか。彼らは自営業者であり、原則として依頼人の支払う報酬に生計を依存している。活動に要する経費にせよ、依頼人の支払い以外に財源があるわけではない。人手も限られており、多くの人材に依頼して調査を進めればそれだけ経費が膨らんでいくことになる。さらに、そこまでしても強制的な権限があるわけではなく、逮捕・勾留されている被疑者と自由に面談できるわけでもない。どれだけの情報を集められるかという問題一つ取っても、検察側と弁護側のあいだには巨大な力関係の格差があるということになる。
(『中央公論』3月号では、この後も刑事訴訟における「有罪」の意味や、「紀州のドン・ファン」事件の一審無罪判決との反応差、刑事裁判と世論の関係などの論点について詳しく論じている。)
1974年福井県生まれ。東京大学法学部卒業。名古屋大学教授などを経て現職。専門は法哲学。著書に『法解釈の言語哲学』『自由とは何か』『自由か、さもなくば幸福か?』『裁判の原点』、共著に『法哲学と法哲学の対話』などがある。