2009年4月号【編集後記】

★「交通至便の世の中に文明の事物を聞見せざるに非ざれども、耳目の聞見は以て心を動かすに足らずして、その古風旧慣に恋々するの情は百千年の古に異ならず、......一より十に至るまで外見の虚飾のみを事として、その実際に於ては真理原則の知見なきのみか、道徳さえ地を払うて残刻不廉恥を極め、なお傲然として自省の念なき者の如し」。福沢諭吉の筆になると言われる「脱亜論」の清国・朝鮮批判。読み直すと今の日本を表しているように思えてなりません。

★地に堕ちたとしかいいようのない政治の醜態。長い間、とめどがありません。日本の指導層は決定的に堕落しています。なぜこんな事に。世の批評は過去は立派で今それが忘れられた、という内容ばかり。でも本当はその立派な過去に「恋々」としていることが問題。立派だった政治家、立派だった政党や官庁。だれも過去の成功者の後継・係累というだけでは立派ではありえません。が、日本中が過去を固定化しようとしています。★真のエリートとは闘技場の中からしか生まれません。しかもその闘いは日々惟れ新たなものです。この点、悲しいかな中国と日本の関係は完全に「脱亜論」の時代と逆転しました。「先ず政治を改めて共に人心を一新するが如き活動あらば格別なれども、もしも然らざるに於ては、今より数年を出でずして亡国と為り、その国土は世界文明諸国の分割に帰すべきこと一点の疑あることなし」。日本はこれから清末を迎えるのです。(間宮)