2010年8月号【編集後記】

★文久三年(一八六三年)八月十八日の政変、蛤御門の変、四ヵ国艦隊下関攻撃に敗れ、幕府の第一次長州征討に屈した長州藩は、高杉晋作のクーデターの後、一気に軍制を改革。攘夷派のくせに西洋式を導入し、ミニエー式ライフル銃を揃え、挙藩体制を整え、慶應二年(一八六六年)の第二次長州征討で旧式の幕府軍を打ち破ります。ご存じ幕末回天史の名場面。徳川慶喜は、あわててフランスの援助を受けて軍制近代化に着手しますが、幕府歩兵の主力は江戸市中で集められた人足。結局、旗本・御家人など幕府の主体は変革することができず瓦解を迎えます。

★敗北しても、そこから学び自己を変えることのできるものは次の勝者になり得ます。そういえばサッカー・ワールドカップの日本代表、開幕直前まで不振が続き、岡田監督も協会も日本中からボコボコに叩かれていましたが、ギリギリの段階でこれまでのスタイルを捨て選手を入れ替え戦術を変え、本大会では奇跡の快進撃。ファンは手のひらを返し自分が勝ったかのように浮かれ回りました。★日本人にもV字回復をやってのける力が残っていることを示してくれました。一方、日本全体を見わたすと政治も経済も、あちこちで負けっぱなし。それでも一向に自分から変わろうとせず、その場にへたり込んでいます。okachan sorryなどとつぶやいている暇があったら我が身を振り返って何を変えられるか考えるべきと反省しきりです。(間宮)