2010年11月号【編集後記】

★魯迅に「『フェアプレイ』にはまだ早い」というエッセイがあります。「水に落ちた犬に三種類あり。いずれも打つべきものなり」という物騒な内容です。革命派と軍閥の確執の中、政敵に対し欧米流のフェアプレイは無意味であるという論旨。中国社会が欧米市民社会とはルールが異なることを骨身にしみていたのです。

★中国の闘争体質は、その当時と大きく変わっていません。その国に対し我が政権は尖閣騒動で何とも拙劣な外交敗戦。強硬姿勢をとられると逮捕した船長を検察に責任を押しつけて釈放。それも問題ですが、もっとあきれたのは釈放時に事態収拾の同意を取り付けていなかったこと。カードはすべて相手方。恐らく伝統に則り徹底して叩きのめしに来るでしょう。★「日本政治は、いったいどこが間違っているのだろう?/まず挙げられるのは、政治家の資質の低さ......政府は、まさに自らの無能と無成果によって、国民の信頼を失った」(ジェフ・キングストン)。しかし、この数年間で国民がダメ出しした政治家たちの顔をよく見てください。誰かに似ていませんか。そう、あなたです。彼らは鏡に映ったあなたの似姿なのです。民主主義の選挙で選ばれる以上、政治家は国民の望む形にすり寄っていきます。今の政治に絶望するなら、まず国民が自らを変えるしかありません。市民社会を機能させるということもまた、個々の人々に、不断の自己闘争を強いるものなのです。 (間宮)