2011年1月号【編集後記】

★大阪府高槻市の私が通った小学校から一キロメートルほど北西に、三好山もしくは城山と地元で呼ぶ小山があります。戦国期、ここに芥川城という畿内でも有数の規模の城が築かれていました。最も有名な城主は、信長の入京以前、畿内の覇者であった三好長慶。今号の特集で登場頂いた今谷明氏の著書によると、長慶が将軍・管領を京から追放し、幕府権力を排除し、近国九ヵ国を支配した天文二十二(一五五三)年から永禄元(一五五八)年の間、この地は実質的に日本最大の権力の中心でした。

★などとは、つゆ知らぬ小学生にとって我が故郷は、農村と新興住宅地が相半ばする何の変哲もない都市郊外の風景、戦国など欠けらも感じませんでした。でも、このような土地は、実は日本中あちこちにあったのでは。言うまでもなく、平安時代の末期以降維新まで、日本の歴史は様々な形の地方権力が離合集散を繰り返す分権的な世界。そこにあるのは、常に中央から何らかの形で自立を志向する力学。★権謀術数の限りを尽くす苛烈な闘争は同時代だとすれば堪りませんが、しかし、そこには自由な発想をもつダイナミックな人物が多く登場します。戦国史だけでなく幕末史もそうですが、歴史特集を組むたびに昔と今では日本人の規格が違うように思えてなりません。もしこれが「自立」の産物だとしたら現代の我が国の人的貧困は中央集権によるもの。この停滞は歴史的な水準となります。(間宮)