2011年8月号【編集後記】

★かつては、会合などでノーネクタイだと、「すみません、こんな格好で」と恐縮したものだが、今夏は様子が違う。ネクタイをしているほうが、「暑苦しくて、すみません」と謝らないといけない雰囲気だ。クールビズは結構だが、節電より、皆が"涼しげな"服装をすることが目的になってしまっている感じがしないでもない。

★菅おろし、政権しがみつきと「手段」ばかりに忙しいのが永田町。もっとも、政権交代自体が、目的より手段ありきだったわけで、すべてはその延長線上で起きているとも言えようか。★防災マニュアルが「生き延びる」という目的からかけ離れていたために多くの児童が亡くなった大川小学校。菊地正憲氏のルポが提示する問題は、深く重い。(木佐貫)

★二十年前の一九九一年には、「失われた二十年」が続くことはもちろん、阪神・淡路大震災も東日本大震災も想像できませんでした。その意味では、二十年後の日本経済を考えるのはナンセンスという批判もあるはずです。けれども、極端な想定を置くことでかえって本質が見える面もあるのではないでしょうか。堂目さんの「市場、経済成長、政府は手段であって目的ではない」、本文にはありませんが、神門さんの「現在世代の開き直りに対応し、将来世代のために存在するのが政策」といった指摘は、先を見据えてこそ直近の課題にも適切に取り組めることを教えてくれます。(小野)