2011年9月号【編集後記】
★東京タワーの展望台に、真下が覗けるガラスの床がある。その上に乗ることを断固拒否した友人はしかし、地下鉄の駅では進入する電車に背を向け、ホームの端ギリギリに立ったまま悠然とおしゃべりに興じていた。
★彼を笑うことはできない。ガラス床が割れる可能性はほぼゼロだが、飛び跳ねても得るものは少ない。高所恐怖症ならなおさらだ。一方、日常に潜むリスクはある程度大きくても、いつしか慣れてしまう。そこがリスク論の難しいところでもある。★「放射線リスク」徹底討論は、「御用学者」「情弱」といった、今流行のレッテル貼りとは無縁の、語り口は穏やかながら熱気に満ちたものだった。三時間を超える議論のすべてをお伝えできないのが残念です。(木佐貫)
★東日本大震災で亡くなられた方々の言葉を少しでも多く収集し、記録できたら......。そんな思いで五月上旬から被災地を訪ね歩いた。「こんな時に非常識だ!」と怒鳴られることを覚悟していた。ところが、実際はまるで違っていた。★我が子が、親が、孫が、確かにこの地に生きた証を残したい――というご遺族の思いに突き動かされ、カメラを片手に夢中で集めた一六人の記録がここにある。★大きな喪失感に苦しみ、それでもなお前を向いて歩き出そうする人々に伴走できるなら、これ以上の仕事なんてない。一人でも多くの読者に共感してほしいと願ってやまない。(中西)