2012年8月号【編集後記】
★小学四年のとき祖父が亡くなり、遺品整理についていった。大人たちが忙しく立ち働くなか、せしめた戦利品は顕微鏡と少しの本。そのうちの一冊が、中央公論社との最初の接点となった。
ビニールカバーのかかった中公新書の『ゾルゲ事件』。内容はチンプンカンプンでも「大人の世界」を垣間見た気になれた。★ゾルゲや、ル・カレ原作の映画『裏切りのサーカス』で描かれるようなスパイはいなくても、"合法的に"重要情報を収集し、本国に流す人間が今の日本には数多く存在するという。詳細は特集でどうぞ。★「探訪 名ノンフィクション」の柳原和子さんとは私も浅からぬ縁が。後藤さんの〈過剰さ〉という表現、よくわかります。愛すべき過剰さを備えた人でした。(木佐貫)
★夜、自転車を駅から家へと漕いでいく。年季の入った自転車は、ぎーこぎーこと音を出す。一〇分の道程。ふと、「微笑もて正義を為せ」という言葉が頭をよぎる。確かにそうだ。「正義」という言葉には、額に青筋を立てる雰囲気がある。はて、何に出てきた言葉だったのか。次の日の夜、自転車を漕ぎながら考える。「正義漢」は頼りがいがあるけれど、時に鬱陶しい。自分を省みても、「我こそは」と思い込んだ言動は、ああ、思い出したくないことばかり。そして次の日の夜、自転車を漕ぎながら、ふと思いつく。あれは太宰治の『正義と微笑』だ。ぎーこぎーこと音が鳴る。(吉田)