2017年2月号【編集長から】

<国立大学の地盤低下 湯川博士なら何という>

1949年に日本初のノーベル賞を受賞した湯川秀樹博士は53年、京都大学基礎物理学研究所の初代所長に就任しました。学外の研究者が参加する日本初の共同利用研究所でしたが、前例がないため予算がつかないケースが多く、金策には苦労したようです。

当時の京大総長は滝川事件で知られる法学者の滝川幸辰氏。学外研究者に旅費を支給しない方針に湯川博士は、「法学者に研究のことがわかるか、法律が国をつぶす」と激怒し、学外研究者を非常勤講師に任じる方便で乗り切ったと、博士を追悼した雑誌(『自然』一九八一年一一月増刊号)にあります。ある年の瀬には本屋の丸善から未払いの書籍代を払うようねじ込まれました。直談判をヒヤヒヤしながら隣室で聞いていた同僚の耳に「湯川先生の声が聞え、首を吊りますよと響いた。この一声に丸善は退散した」(同号)。

半世紀が経った2004年度、国立大学は独立行政法人となりました。それから12年、研究機関としての地盤低下が進んでいます。若手研究者は非正規ばかりとなり、職員の論文数は減り、東大や京大の国際ランキングは低下しています。なぜでしょう。

研究費が足りないわけではありません。

独法化以降、国は大学運営の基礎的経費である「運営費交付金」を毎年1%ずつ減らす一方で、審査を通った有望な研究に資金をつける「競争的資金」を大幅に増やしています。国全体で見れば研究費予算は増え、成果が期待できる分野に資源配分する制度は整ったといってもいいのです。

国立大学が直面したのは厳しい資金獲得競争です。「競争的資金」を満足に獲得できないと、「運営費交付金」の分だけ予算が減るからです。もっとも競争ですから、勝者と敗者が生まれるのはある程度仕方ないのかも知れません。

最大の問題は、「競争的資金」を多く獲得した大学が、それに見合う成果を挙げていないことでしょう。「勝者なき競争」にこそ、事態の深刻さがあるのです。

特集では、五神真・東大総長、里見進・東北大総長やノーベル賞を受賞した梶田教授が、現状と問題点を指摘。内閣府、財務省の当事者も登場。阪大・大竹文雄教授は文系のあるべき姿を提言しています。

日本の科学技術を下支えしてきた国立大学が研究力を低下させれば、技術立国・日本の姿を変えてしまうことにもなりかねません。文字通り「首をかけて」予算を確保した泉下の湯川博士がこれを知ったら、どう思うでしょうか。義憤にかられるか。情けなさを嘆くか。まさか、「ここで首を吊れ」とは言わないでしょうが・・・。

<脳卒中死亡率 地域格差は最大2・5倍>

もう一つの特集は、年間11万人もの命を奪っている脳卒中(脳梗塞や脳内出血などの脳血管疾患)です。特に寒い朝には、血圧が上がって発症するケースが多く、注意が必要です。発症したら直ちに病院に行き適切な処置をしないと、命に関わったり後遺症が残ったり。まさに一刻一秒を争います。

つまり近所に医療体制が整っているかどうかが生死を分けます。患者の搬送体制、受け入れ医療機関までのアクセス時間、医療機関の設備や医師の技量が、文字通り致命的に重要なのです。一命を取り留めたとしても、リハビリ医の質が予後に大きく影響します。

では、地域による死亡格差はどの程度あるのでしょうか。

埴岡健一・国際医療福祉大学大学院教授は、全国344の「2次医療圏」ごとに、年齢構成などを補正した後の脳卒中の死亡率(標準化死亡比)を割り出しました。今回の特集はこの全リストを掲載しています。脳卒中に関して、2次医療圏ごとの死亡率が明らかになるのは初めてです。

驚くべきことに、死亡率の地域格差は男女とも最大約2・5倍に達しています。男性でいえば、全国を100として示す死亡率は、最低の大阪府豊能(池田市、箕面市及び周辺部)が67・2なのに対し、最高の岩手県宮古(宮古市及び周辺部)では167・9なのです。

死亡率は塩分摂取が多い東北などで概して高くなっています。しかし、東京・西多摩地区や栃木、茨城などにも大変に高い地域があります。また、同じ都道府県内でも、地域によって格差が生じています。

例えば福井県の男性死亡率は、都道府県単位では低い方から5位と優良ですが、2次医療圏で比較すると、丹南(鯖江市、越前市及び周辺部)の79・5に対し、隣接する奥越(大野市、勝山市)が128・9と1・6倍も格差がありました。

こうした格差がどこから生じるのかは専門的な分析が必要です。今回の特集では、医療ジャーナリストの福島安紀氏が「東北だけじゃない!なぜ、西多摩、茨城、栃木は死亡率が高いのか」の中で、その原因を探っています。

編集長 斎藤孝光
(★ツイッターで発信中です@chukoedi)