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探検家、文化人類学者に会いに行く

なぜ人は極北を目指すのか?~イヌイットの生活と歴史
岸上伸啓(国立民族博物館教授)×角幡唯介(作家・探検家)

狩猟して気づいた「土地」と「時間」

岸上角幡さんは今、狩猟しながら移動することをテーマにしていますが、どんなところに魅力を感じたのでしょう。

角幡以前は、食料などを載せた橇を自ら引いて探検していました。手持ちの食料も減ってくるので、途中で狩りもしながら歩きます。でも、ウサギやジャコウウシなら仕留められるけれど、アザラシは難しい。自分で歩いて獲るには限界があるのです。アザラシは、呼吸をしに氷の割れ目に上がってくるところを狙うのですが、気配を感じるとサッと潜ってしまう。そして別の場所に現れる。そんな状態なので自分で歩き回っていると体力がもたない。でも、犬橇だったら対応できるし、そうすれば活動範囲が広がると思いました。
 また、事前に用意した食料だけで探検すると、食料がもつ期間しか動けないし、食料が尽きる前にどこかに到達することが目的になる。すると、直線的に無駄なく効率良く、要するに近代的なやり方で動くことになります。しかし狩りをすると、完全に視点が変わって、先の予定は立てられなくなる。今目の前にあるものがすべてになり、その場に組み込まれていく感覚になるのです。
 そうすると土地に対する興味が強く出てきます。この先の海氷ではアザラシが獲れるのか、向こうの陸地にはジャコウウシがいるのか、などと考えるようになる。今、目の前にある土地がものすごく切実なものになるのです。目的地を設定したこれまでの移動は、直線的で、言ってしまえば周りの風景を切り捨てていたわけです。一応、目には入っているけれど、切実なものではなかった。しかし、ここで体験した狩猟者としての視点は新鮮で、これは突き詰める価値があると思いました。
 この時考えたのは、人間が移動する意味、モチベーションです。今、僕らは地図の存在を当たり前に考えますが、地図がない時代には、食の確保や住環境の良さを求めて移動していたわけです。狩猟をしながら旅することで、現代の人々が切り捨てた土地の潜在性、本質を体感できる。旅を通じて現代の価値観とはまったく逆のものを表現できるのではないかと思ったのです。

岸上狩猟者の目線というのは非常に面白いですね。人類には極地まで含めて何百キロ、何千キロと移動してきた歴史があります。イヌイットも一九五〇年代までは、季節に応じて動物を追い、移動することが即ち生活でした。ところが五〇年代から定住化が始まった。ここでイヌイットの生活様式も変わってくるのです。
 もう一つは時間の考え方です。私は調査者なので、イヌイットの皆さんにたくさんインタビューしたい。だから、村のおじいさんに、何月何日の何時に話を聞かせてください、とお願いします。相手もOKしてくれる。そこで当日行ってみると、おじいさんは狩りに出ていて、いないのです。そういうことが何回もある。もしかしたら、自分は調査者だから嫌われているのかとも考えたのだけれど、どうやらそうではない。イヌイットの人たちは、天気が良ければ猟に出たい。臨機応変で、今のことしか考えていないのです。なぜなら、嵐になれば猟に出られず、今の好天が一番重要だからです。
 またある時、三週間後にモントリオールに戻りますと村の人に伝えたら、「なんでお前は三週間後のことがわかるんだ」と笑われました。つまり、明日のこともわからないのに、どうして三週間も先のことがわかるのだというのです。最近はイヌイットの子どもも学校教育を受け、日曜日にはキリスト教の教会に通っているので、現代的な時間の感覚が身についています。けれど、夏場のキャンプの時だけは、時間のない生活になります。
 狩猟者の目線は、時間という概念も変えるように感じます。

角幡実は僕も「時間」をもう一つのテーマとしているのです。登山や探検は、目的地があり、それに合わせて計画を立てます。つまり、将来の目標に向けて、修正しながら行動していくのが一般的です。けれど、どうしても時間に管理され、未来に縛られてしまう。その煩わしさが嫌になって、一度、北海道の日高山脈で、地図を持たずに釣りをしながら漂泊する登山をしました。そこで気づいたことは、地図には時間が組み込まれている、ということでした。例えば、漂泊を始めて一〇日目に、七〇メートルほどの巨大な滝に突き当たりました。もし、その時僕が地図を持っていたら、この滝を越えればなだらかな場所があり、テントを張ることができると判断できたかもしれない。あるいは、さらなる急勾配があるので、滝を登る前にここで一泊したほうがいいと考えたかもしれない。でも、地図がないから見通しがまったく立たないのです。つまり、地図の中には未来が表象されている。地図を見ながら山に登る時、人は地形だけでなく、未来を見据えて状況判断をしている。だから地図を持たずに山に登ると、未来が見えなくなり、その巨大な滝がものすごい威圧感を与えてくるのです。
 自分が「現在」というものだけに組み込まれると、目の前の偶然性に左右され、今この瞬間によって未来が次々と更新されていく時間の流れになる。ものすごい広がりのある世界が現れるのだと感じました。本当の狩猟民は、未来の予定に縛られた僕らから見ると計画性のない、いい加減な人のようだけれど、そうではなく、まったく別の時間感覚で生きているだけなんですね。僕はまだそこまでなりきれていないから、旅の途中で獲物が獲れると「これで何日行動できる」と考えてしまう。同時に、計画性のない旅に出ると、未知の不確定状態から確定状態になる瞬間に、強烈な解放感を伴うこともわかった。きっとそれが生のダイナミズムなのだろうとも感じました。

岸上一方で、シオラパルクの人にGPSくらいは持っていけと言われませんでしたか。(笑)

角幡言われました。「なければ、お父さんに買ってもらえ」と。(笑)

岸上イヌイットでも今の若い人はみんな持っていますね。必需品です。

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